垂直落下式サミング

ザ・ピーナッツバター・ファルコンの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

5.0
実は今ちゃんと社会人やってて、中途採用で拾ってもらった会社で僕にしてはそこそこ頑張ってたりする。めちゃくちゃなレビュー投稿数は不定職者の特権だったわけだ。
そこに入社したときから、今まで結構よくしてくれてた先輩が、年度末から違う部署に移動になった。社会福祉の資格を取ったらしくて、現場の下っ端からイッキに人事のお偉いさんになるそうだ。底辺ブルーカラーからスーツ野郎にジョブチェン。何でも、社内にその資格を持ってる人が彼しかいないから重宝されるらしく、これからは人事部で障害者雇用の受け入れ業務などを担当することになると言っていた。
資格を取得したのは、自身のお子さんがダウン症だからだそうだ。二人兄弟のふたりともそうで、上の子は普通の生活ができる程度には軽度だけど、下の子は知的障害もあってずっと介護が必要らしい。
これだけ書くと、普通よりも手のかかる子供を持った家庭のお父さんが超頑張る感動の実話みたいなので、小説とかになりそうなおはなしだが、真実はちょっと違う。風俗好きのオヤジがコロナ禍でどこにも遊びに行けないから、暇潰しで三年前くらいからペラペラめくるだけだった資格試験教本を本腰いれて勉強やってみたら、もともと子供のために制度とかいろいろ調べてたから案外覚えがよくて、でなんか試験やってみたらうまくいったみたいな、そういう適当な物語が真実だったりする。
これからは出張も多くなるから、デリヘルも呼びやすいし、もしかしたら二重生活かましちゃうかもしれないとほざいていた。安定の糞野郎っぷりに安心。世の中、案外こういう適当で楽天的な奴のほうが、なんやかんやで上手いこといってたりする。
『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』は、ダウン症の青年の自己実現までの旅を追う物語だが、この題材にありがちな感動の涙エクスプロイテーションからは距離をおいて、アメリカ南部を旅するささやかなロードムービーとして、小規模な冒険を見守ることに徹している。それから、人の優しさや善意だけじゃなくて、卑劣さや愚鈍さや無責任さまで、よきことも悪いことも、等価な人の持つべき感情として描写している。この題材にしてこのフェアさが、なんだかすごく気に入ってしまった。
この映画がメインテーマとしているのは、なりたい自分になれるかなれないか、或いは、なろうとするかしないのかというもので、これ事態は普遍的な問いである。そして、健常者と比べて何が劣っていようが意思と心だけは何者にも阻まれることはないと、不幸であることをいい意味で特別視しない。
チャップリンは「人生はクローズアップで見ると悲劇だが、 ロングショットから見れば喜劇である。」といったが、この映画は逆だ。外っ面は可哀想にみえても、本人からしたら超楽しかったりすることもあるだろう。今までの人生でノロマだのウスノロだのと言われ続けて、介護施設に入れずに老人ホームで過ごしてきたザックだが、彼は無一文のパンツ一丁で施設の外に出たって仲間や友達を作って一緒に人生を楽しめるだけのガチ陽キャなポテンシャルを秘めているのである。
ザックは、友達がいて、夢があって、それを目指して旅だって出来た。とてもタフな男だ。彼は、他人に境遇や出自を同情されたり憐れまれるような、そういうつまんないことは似合わない青年なのである。物語の終盤にかけて、彼が発する「俺は強い!」という言葉が、これまでのごっこ遊びのニュアンスから魂の叫びに変わり、自らのなかに本当の自信を獲得していく過程を追ってみていると、胸が熱くなってしまった。
お尋ね者の半グレ役が堂に入ってきたシャイア・ラブーフはどこで道を間違ったのか。素朴美人が似合うダコタ・ジョンソンはおでこの広さが可愛さ弾ける。そして同室のジジイ、盲目のジジイ、元レスラーのジジイ、最後にエキシビジョンマッチの対戦相手を買って出てくれるガチンコ厨のジジイ、みんな優しい。小汚ない灰色のガンダルフ。いろんな人から優しさをもらって、自由を手にして、仲間を手にして、最後に夢の実現にまでこぎ着けたザック。きっと彼も、誰かに優しさを与える側の人になれるはずだ。
日々のなかでお互いを尊重し寄り添おうとしたり、見返りを求めない善意でもって相手を思いやることが出来れば、それだけで人同士は尊い関係が築けるんだから、貧乏だとか、障害者だとか、いじめられてるとか、それはもちろん悲劇なんだけど、不幸せだからってウジウジ絶望してんな、仲間がいるなら次へと歩み出してみせろよと、かなり時代を見据えたメッセージを謳っていると思う。
弱いもの、拙いもの、不格好なもの、いびつにみえるもの、自分と違うもの、そういうものにも、他と変わらぬ愛を注げる人になろうと、そういう優しさを映画から感じた。