やかましい小娘

特捜部Q カルテ番号64のやかましい小娘のネタバレレビュー・内容・結末

特捜部Q カルテ番号64(2018年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

こんなことって、こんなことって、と呟くのが精一杯になる結末だった。
映画製作側も『こんなことって』と思っただろうと思う。映画版は、制作陣のニーデに対する祈りであり、願いだとも思える。彼女はクアトに人生をめちゃくちゃにされ、ギデとリタに振り回され、何とか掴んだ第2の人生もクアトにめちゃくちゃにされた。
島を出たあとのニーデをつけ回すリタとギデは、島に収容されていた女性達に対する社会の反応のようにも思えた。前提として、リタはもちろん被害者であり、ギデもまた、抑圧と差別の中で生きた一人の同性愛者であるのは間違いないのだ。
しかし、それと、ニーデを陵辱し、弱い立場に追い込んだことや、その計画に周りの収容者を悪意を持って巻き込んだのは別なのだ。
完全に別と切り離すことも出来ないけれど、ある程度離して考えないといけない部分だと、私は思っている。
しかしながらやはり、もう一度再確認するが、スプロー島なんてなければ、優生思想なんて馬鹿げた考えの元に立法がなされなければリタがそもそも島を脱出するために誰かを犠牲にしたりする計画を立てなくてよかったわけなのだ。すべての諸悪の根源は、郵政思想であり、それに乗じて甘い汁をすすった男たちだ。

ユッシはある意味、ニーデが全ての復讐を成し遂げることで過去を清算したり、自分の無念を晴らすことができるようには、この物語設計しなかった。ユッシが巻末に短く記したように、デンマーク政府は彼女達に対して公式に謝罪したり、賠償を行ったりしたことはない。ニーデ達の無念をはらされることなく、彼女達が受けた仕打ちや過去を精算して新たな人生を送ることもできず、多くは差別されたまま、彼女のように死んで行った。
もしくは、今も怒りに震えながら、社会に隠されて生きている。

復讐が達成されて、スッキリしてはいけないのだと思った。彼女たちは、ずっと胸に重しをのせられたまま、苦しんで生きているのだから。この作品でニーデの復讐が完遂されることは無いのだ。
だからこそ、映画版でギデは殺され、そこでニーデは復讐をやめて、新たな人生に踏み出すし、ヴァズは司法の手に委ねられるのだから。
64の原作に対する映画版制作陣の答えは、完璧だ。

作中でアサドが叫ぶ
『このままでは、アッラーに先を越されてしまいます!』
というのは今まさにデンマークに住む優生思想の被害者達の叫びであり、加害者を放置するデンマーク政府に対する警鐘でもある。
これは、対応が急がれる日本の旧優生保護法被害者と加害者に対しても言えることだ。

優生思想は現在進行形で進んでいて、それは各国の移民政策に、社会保障制度に如実に現れている。
優生思想は終わっていないし、ヴァズのようにしぶとく生きのびて、力を集め、様々な形で政治に干渉しようとしている。このシリーズの中で一番怖い作品がこの作品だと、親友と話したのは、間違いなく、この問題が全世界的に起こっていて、他人事では無いからだ。

しかし、ユッシよ、四作目になるがあなたのキャラクター描写に、特にアサドに対する描写に警鐘を鳴らす人間は周囲にいないのか。
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