なかさん

ばるぼらのなかさんのレビュー・感想・評価

ばるぼら(2019年製作の映画)
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東京国際映画祭で鑑賞

手塚治虫先生は、天才の名の元に振られる膨大な仕事をこなし、管理されルールに囚われ、他者への嫉妬に焼かれ苦しんだのかな。

そんな全てを投げ捨て、禁忌タブーとされるボーダーラインを飛び越えて、煩わしい『常識』から解き放たれた先の芸術に憧れ、導いてくれるミューズを求めていたのかな。

父親の遺した問題作とも言える作品を、息子の手塚眞監督がクリストファードイルのファインダー越しに見せてくれる世界『ばるぼら』

人間が作った倫理観、常識の上に乗っかって芸術も存在しているのだけど、そもそもそれおかしくね?正しいとされる固定概念取っ払わなきゃ魂からの芸術は生まれないんじゃないか。ルールは才能に鍵をかけている重石ではないか?というようなことを俳優たちの美ボディーを眺めながら感じました 。

これはとにかく稲垣吾郎さん二階堂ふみさんがよくこの役を引き受けたなあと思います。稲垣さんはテレビでついたイメージが多々あるけど、その作品の色に染まれる俳優だと思う。この退廃的な世界観をよく体現していた。

そして二階堂ふみさん、彼女あってのばるぼら、誰よりも彼女に最高の賛辞を。これは他の作品でも思いましたが、若いのにいろんなリスクを振り切って演っている芯のある俳優。本当に美しいミューズでした。誰よりも彼女に女優賞を取らせてあげたいです。

2年前に撮影されて、先にいくつもの国際映画祭に招待され、国内の上映を待っていましたが、二階堂さんが朝ドラが終わるのを待っていたのかな?
とにかく朝ドラとは真逆な混沌とした世界です。笑

脚本的にはこうした方がもっと… ということはいくつかあります。
ライバルの小説家との関係性をもう少し密に描いてほしいとか、有名になってメディアで消費される器用貧乏さに葛藤していることを感じさせる描写も足りないかな。
ラストのシーンももう少し長くチラシを映さないと気がつかない人もいるのでは。 

けれど、キャストの熱演とドイルの手腕、ビジュアリストと呼ばれる手塚監督の力量もあって手塚治虫の作品のブレない強さがしっかりと根付いていました。音楽もいいですね。ISSAYさんの起用が大正解です。

全国公開して久々に鑑賞してからまた加筆します。

手塚監督のインタビューが大変興味深い内容だった。
http://cineref.com/report/2020/10/barbara.html


公開されたのでもう一度鑑賞しました。

こちらは、美倉が異常性欲とされた部分の人形愛の件についても。監督の考えが書かれています。

稲垣と二階堂の『ばるぼら』、「リアルではなく摩訶不思議に」 | Lmaga.jp https://www.lmaga.jp/news/2020/11/181962/


記事にあるムネーモシュネーと美倉の飲み対決のシーンはかなり見応えがあり、酔っていくような音も素晴らしかった。音が印象的なシーンも多く、世界観を支えていてサントラが欲しくなりました。

この作品については、もう世界観を飲み込めるかどうか、作家の危うさを見守り寄り添い見れるかどうか、だと思う。

原作も拝見したが、主演の稲垣さんは、原作より線が細くインテリジェンス漂う危うさがあり、その見た目も作品を幻想的に仕上げる後押しをしていた。

男の生み出す理想的な幻想の女神、ばるぼらを、押し倒すのではなく受け身を取るようにのまれて溺れていく姿は、視覚的な体格差もより現代的。賛否あるかもしれないが、稲垣さん本人も自分がやることで、そのあたりがマイルドになっていると、インタビューなどで答えていましたが、確かに現代で映画にするなら、ベストな選択だったかもしれない。二階堂さんのいろんな女性の顔を見せる不思議さもとても没入できる要素で、やはり彼女あってのこの映画だったように感じました。

ばるぼら公式読本というパンフの代わりが出版されていて、とても豪華だった。それを読んだり漫画を読んだり、複合的にいろんな楽しみ方ができるので、自分の中のばるぼらの解釈の答え合わせを探していくのも楽しい。公式本のシナリオにはラストシーンの削られた部分がありますが、これはやらなくてよかったと思う。

美倉のモデルは三島由紀夫や野坂昭如、などの名前が上がっていますが、私はそこまで詳しくはないので、当時の文壇や社会背景など紐解いていくのもいいかもしれない。

私は好きな映画でした。
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