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世にも怪奇な物語のTnTのレビュー・感想・評価

世にも怪奇な物語(1967年製作の映画)
4.8
オムニバスということで監督作品一つずつ。スコアはフェリーニ基準です。

ロジェ・ヴァデム
ジェーン・フォンダが綺麗だが悪女、衣装とかが危うい。そしてまさかのピーター・フォンダも登場で兄弟そろって出演。兄弟を恋人役に仕立てるという危うさもあり。中世の退廃的なイメージがザ・酒池肉林感があって面白かった。後半のジェーンと馬の戯れる姿が絵本に出てくるようなファンタジー味あるものだった。アラン・ポーというより絵本の実写化みたいだった。実質ジェーン・フォンダを見るための映画。後に監督はジェーンと結婚するがそういう目線で撮っていると思う。

ルイ・マル
流石としかいえない映画らしい映画であった。物語の導入の仕方、男が懺悔をすることで過去が明かされる形式などミステリアスで観る者をグッと引き込む(関係ないがジョジョの「岸辺露伴は動かない」でもこの形式を使っていた)。そして幼少期の物語にまでさかのぼる。
アラン・ドロンの悪役っぷりがすごい。「太陽がいっぱい」のような、賢くそして冷徹な男がよく似合う。幼少期のイジメの仕方がたけしの「ソナチネ」で引用されていたのか?ネズミのいっぱいいる桶に吊し上げるいじめの仕方斬新すぎる…。幼少期の頃の子役も目がアラン・ドロンのように冷たかった。後半ブリジット・バルトーもでてきて、この美男美女の賭け事のやり取りのまぁカッコいいこと。そしてラストにかけてアラン・ドロンが自分の分身と戦ってからの共倒れ。戦うシーンでの取り乱し感がギャップがあってよい。そしてラストはアラン・ポーらしい不条理な終わり方。長編を見たような満足感。アラン・ドロンのダブルイメージはゴダールが「ヌーヴェルバーグ」で使用しているが、今作品からの影響なのかもしれない。

フェデリコ・フェリーニ
初っぱなから情報量がエグい!この怒涛の混乱はまさに「8 1/2」の主人公が経験したものと似ている。あるイギリスの役者が、イタリアの映画に出演することになりイタリアへ向かう。ただこれだけなのだが、変なプロデューサーが向こうで待ち構えていたり、絶えず記者が写真を撮ろうとしたり、空港の人間は皆奇妙に見えて、インタビューも俺に媚びるのもけなすのももううんざりだ!!と発狂寸前になるほどの混乱っぷり。ビルを背景にマリア像が通ったり、牛肉を運ぶトラックと横にあるシャンデリア工場など、コントラストがグロテスクに感じる。また、関わる人間皆顔が青白く、それがまた気持ち悪い。しかし、当の主人公が一番顔が青ざめているのだ(晩年のポーに似せているという説もある)。その混乱の中、一緒に遊ぼうと誘うのが白い妖精…ではなく白い悪魔なのだ。彼の混乱の隙をついては白いボールを持った少女が現れる。ラストの壊れた橋の向こうに現れる少女は「甘い生活」のラストを彷彿とされる。ほんとに人人人ばかりで、しかもマネキンもハリボテも生身の人間といっしょくたになっている。どこまでもセットは作り物であることをありありとしているし、現実も虚構もないまぜになっている。車で逃走するのは「8 1/2」でもお馴染みだが、今作品では主人公の発狂と共鳴するかのようにフェラーリのエンジンが音を立てる。その爆走ぶりはおそらく後のデヴィッド・リンチが「ロスト・ハイウェイ」で再現することになる。そして不意に車を止めては雄叫びをあげる主人公が痛ましい。主人公が授賞式か何かでスピーチをする際にマクベスの「自分の役が済めば、舞台から消え去る哀れな役者なのだ」という一節を抜き出して語る。それが、なんとも切なく、またこの喧騒の映像の中での一つのカタルシスであった。また、フェリーニのようなネオリアリズモ出身の監督はアフレコを多様するが、主人公の声はかなり生音を使っているようだ(少なくとも独白シーンは)。つまり、主人公だけが肉声なのだ。誰しも混乱して逃げ出したくなる時があるなと思い、そしていつもその逃げた先には、(フェリーニ作品の中では)常に死が待ち受けている。「気狂いピエロ」も「ロスト・ハイウェイ」もどちらも逃げた先は死であった。フェリーニは救済の映画監督であると思う。「8 1/2」で死んだ(と思われる)主人公は夢の世界で皆と手を繋ぐ。しかし、今作品はあの世が描かれていない。むしろよりリアルというか、死んだ主人公(しかも生首)の姿が写し出される。悪魔が死に誘いこんだと言えばそれまでだが、彼はそれでしか助からなかったのかもしれない(死こそ彼にとっての救済だった)。現実を戯画化し、醜いものとして描いた。その戯画化は、画家で例えればジェームズ・アンソールが近いだろう。フェリーニは今作品以降もそうした人物描写を中心としていく。

全体として
各話の繋がり部分が
馬の走る音→アラン・ドロンが走る
アラン・ドロンが仰向けになる→空の映像
と、時も世界観も越えるその繋がり方が面白かった。しかし、こういったオムニバスは残酷というか他の監督との差が明確になってしまうからかわいそうだった。フェリーニの前を任されたルイ・マルも、そしてルイ・マルの前を任されたロジェ・ヴァデムもさぞ気負ったことだろう。そして自分としても一番フェリーニの作品が好き…。というかフェリーニのフィルモグラフィの中でもなかなかに好き…。というか死の恐怖を一番感じたのはフェリーニの作品だった。他の監督は、あくまで原作の翻訳であり、そのテーマである死の演出がイマイチだった気がする。そしてフェリーニは翻訳を大胆に変更しつつもテーマをしっかり据えていたと思う。


冒頭の字幕で「恐怖と宿命はいつも世にある。それゆえ私が語る物語に日付は必要ない」と書かれているように、エドガー・アラン・ポーは時代を越えて様々な解釈が可能だなと実感。それ故にポーの作品から影響を受けた映画はとても多くある。今作品は、ポーの作品をどう解釈したかを楽しむのもありだろう。
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