ひぐまさん

天気の子のひぐまさんのネタバレレビュー・内容・結末

天気の子(2019年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

物語が進むにつれSF(すこしふしぎ)からSF(サイエンスフィクション)になる映画。

一言でまとめられない。映像美はいつも通りだが、焦点やメッセージのわかりにくさが凄い。

悪く言えば共感はしにくいし、感動を求めてる人向けのエンタメ作品ではなかった。よく言えば解釈の深みがあった。深海作品でそういう風に思ったことがなかったので、一皮むけたなぁと思った。


==以下ネタバレ==

東京が海に沈む。深海が、「秒速」で、「言の葉」で、「君の名は」で、登場人物たちの出会いと別れの舞台として執拗に選び、人生の全てがあると謳いつづけてきたその場所が、水に沈む。主人公たちの行動の帰結として東京は水没する。水に沈んだ大都会の光景で閉じるこの映画が幕を閉じ、スクリーンの前に残された私たちには、行動が正しかったのかという問いが突きつけられる。

全編を通して主人公には感情移入出来ないように仕掛けられている。なぜ家出したのか、なぜ島で生きることが息苦しかったのかは描かれない。愛読書が『ライ麦畑』なのも、彼の自閉性を示すイコンだと思う。あとキレるとすぐ発砲するし(笑)。登場人物の須賀(小栗旬)も「大人になれよ」と言うとおり主人公は最後まで子供のままだ。

主人公とヒロインの関係も、主人公の独りよがりで進む。主人公がヒロインに恋に落ちる理由は、東京にきて初めて優しくしてもらったからという、孵化したヒヨコのような幼い理由だ。ヒロインの姿は主人公の目線を通して描かれ、性的な眼差しには不快感すら覚える。ヒロインの背景、なぜ母が亡くなったのか、なぜ父はいないのかと言ったことすら掘り下げられない。主人公は、独りよがりで自閉的な認識で世界やヒロインを捉え、その二者択一を迫られた結果、自らとその理想の投影としてのヒロインに味方した。

他方で物語の歩みにしたがって、物語と現実は切り離されていく。リアルな東京の映像や、「君の名は」のキャラクターの登場が、見ているものの知っている世界との連続を暗示する。だが実弾入りの銃や、雨を止めるヒロインの登場、雨乞いの巫女の伝承の話が入ることで少しずつ現実から切り離される。最後は主人公の選択によって雨に沈み、これが現実の世界とは違うことを(そして三葉と瀧くんが出会ったあの東京でもないことを)、克明に告げてしまう。主人公への感情移入のし辛さと、現実から切り離された世界を重ねて見る時、この映画を見ていると私たちは第三者の視点から、これは何だったのだと問わされる。

主人公の行動は正しかったのだろうか。深海はこの問題をオープンにしてしまった。だが、ほんとは主人公の行動を肯定してほしくないと思ってるのではないかと思った。だからこそ、こんなにも主人公に共感できないような作りになっていたのではないか。ラストの歌で、(HINOMARUを歌った、能天気な若者の代表である)野田洋次郎は「愛にできることはまだある」と肯定してしまう。参議院選挙前だからこんなこと思ってしまうのかしれないが、(主人公が最後に須賀の言葉を強く否定するように)選択が世界を変えてしまうことはあるし、その責任は選択者に覆いかぶさってくる。私たちはそれを、「愛」なんだからと(たとえば愛国心なんだからと)、ポジティブに捉えてしまえる世界に生きているだろうか。

これまでの深海作品は、こういう主人公の自閉的な恋や理想を無批判に称揚してきた。だからこそ、今回の作品でそれが持つ危うさを描いたのは画期だったと思う。この映画を見た人は、主人公の選択が正しかったのかについて、問い続けるべきなのではないかとは思う。

フランツ・カフカの「君と世界の戦いでは、世界に味方せよ」という言葉を思い出した。初めてこの言葉を聞いた時、まだ幼かったから、なんとなく反感を覚えてしまった。でも今も屈託なくそれを否定できるかは、自信がない。