mina10

天気の子のmina10のネタバレレビュー・内容・結末

天気の子(2019年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

綺麗に話がまとまっていて分かりやすくて、個人的には好きでした。正直、冒頭の俯瞰の東京で新海誠の映画を観た感は満たされました。あの繊細な景色が観られただけで個人的には満足。
なので以下は蛇足です。

セカイ系の作品としては<世界を選ぶか、君と僕の関係を選ぶか>という構図になっていて大変分かりやすかった。
今までの新海作品と違うのは、誰にとってハッピーエンドで誰にとってバッドエンドなのか明言されていないところか…?
個人的に一番気になったのは『果たして陽菜は救われたのか』ということ。
帆高が世界よりも二人の関係を選んだのは一目瞭然だが、そこに陽菜の意思は介在していない。ここは正直気になる。
陽菜が天上で泣いていたのは、図らずも人柱になってしまった悲しさ・寂しさや理不尽さによるものではあるけれど後悔からではないのではないか。陽菜は陽菜で帆高が『雨止んでほしい』と言った言葉を受けてそれに応えるために人柱になることを受け入れたのに、それを帆高一人の意思で引き戻すのは果たしてエゴ以外の何なんだろうか。あれを愛と呼ぶのなら私は新海誠の提示する愛には同意できないなーと思ったり。
二人とも最後まで噛み合ってなくない?というのはモヤモヤするところではある。

新海作品には、背景に『不条理やままならない事はあるけれどそれでも世界は続くしなんとか生きていかなきゃいけない』という切なさがあるように感じている。秒速に代表されるそのなんともモヤモヤする感じが好きな人も多いし私もその一人なのだが、今作品では二人(というか帆高)に二択を突き付けることでそれを綺麗にブッ壊したとも言える気がする。
『世の中にとっての最良』と『君と僕にとっての最良』は必ずしも同じではない、君と僕が幸せになるためなら世界の正しさなんてクソ食らえ。
(台詞はうろ覚えですが)「君は悪くない」「元々世界なんて歪んでる」というある種結論じみた、ハッピーエンドにできたような台詞達を出し、それで一旦納得しかけたところで敢えてそれらを帆高に否定させ、あくまでも『君と僕』のパーソナルな世界を『選んだ』と改めて観客に認識させる。
それが彼らにとっての生活であり世界で、今までの新海作品の中にあった「それでも続いていく(外的要因が作り出した受動的な)日常」はこの作品には存在しない。
これは何を意味がしているのか。
日常は勝手には続いていかない。ままならない日常に受動的に流され、それを仕方ないと諦めて受容する必要はない、という生きづらさ界隈(笑)に対するある種の救いなのではないだろうか。
当然、選ぶ苦悩は存在する。けれど世界が幸せになることより自分が幸せになることを考えたって罰は当たらないし、責任なんてとらなくたって世間は各々の理論で勝手に納得して生きていく。
現に東京は水没したけれどそれは段階的なものであり、いわゆる移行期間が存在した。(見た感じ)誰も殺していない。
たとえ天候を左右できるほどの大きな力をもってしても、世界なんて・日常なんてそう変わらないのだ。それが彼らにとっては何よりの救いなのではないだろうか。
より個性的であることを強いられ、パーソナルな選択を迫られ、そのくせ世界あるいは世間の評価との板挟みで苦労しがちな現代社会。
世界を揺るがすような大事件、と見せかけて全然世界は変わらない。
ある意味セカイ系の逆をいっているとすら思える、やっぱり閉ざされたパーソナルな物語で、それが救いになる人も多いだろう現代らしい作品だと感じた。
mina10

mina10