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天気の子のmのレビュー・感想・評価

天気の子(2019年製作の映画)
1.0
新海監督の前作「君の名は。」は正直生理的嫌悪感を抱いている部分があるのだけど、あれが面白い映画だった事は同意する。特に入れ替わりを巧みに示唆していく序盤の脚本の構成、RADWIMPS(以下RAD)の曲と絡み合って爆発する演出のパワー、そして上白石萌音の演技のエモーショナルさには感心した。
だからこそ今作は余計に虚しかった。前作にあった脚本の構成力も演出のパワーもこの映画には一切存在せず、声の演技も弱い。RADの曲とのコラボも今回は不発だった。
画の緻密さや美しさだけが際立つが、スタッフ達の最高峰の実力も土台となる脚本や演出がこれでは虚しく空回るだけだ。

脚本の驚くべき幼稚さ(技術的にも思想的にも)と拙さが最大の失敗要因。

この映画の観客となるであろう多くの少年少女に感情移入してもらいやすくする為なのか、主人公とヒロインのバックボーンは意図的にかなりボカされている(というか無い)。匿名性の高い主人公達が東京の裏側で子供達だけで生きていこうとする無邪気な『冒険』を、映画はある種のワクワク感を持って描こうとしていく。彼らと同世代の少年少女が観たら同調できるのかもしれないが、もう既に大人になった人間から観るとその匿名性が登場人物達の行動に致命的にリアリティを無くし『何故こんな事するの?』とノイズになる。

離島から出てきた主人公の曖昧な『故郷は息苦しい』という苦しみは地方出身者なら多くの方が抱く感情だろうが、感情は一応あってもそこから東京に家出してくる為に必要な強い原動力が曖昧である為に、終始彼の行動には説得力が伴わない(いや「ライ麦畑でつかまえて」置いてるからって説明描写にはなってないからね?)。
ヒロインも『母親との死別』『父親の不在』という分かりやすい不幸を背負っているが、それでも弟と二人だけで生きていこうとする行動のバックボーンが無い為に彼女が弟だけとの暮らしに固執するのが作劇に都合良く作られているように見える。
弟が明らかに学費高そうな学校の制服着ていたり美容院よく行くんだろうなという髪型してたりという所に、貧困のリアリティが無い。そう彼女達は貧しいはずなのにそこには貧しさのリアリティが無いのだ。では何故この親の不在や貧しさの設定があるかというと親の描写を省きたかったという事や主人公達を出会わせる為、そして彼女達を『逃亡者』にしたかったからだと思う。

主人公を『逃亡者』にする為だけの拳銃の存在とその使い方の幼さには呆れる。ここは北九州かという感じで簡単に歌舞伎町で見つかる拳銃・・うんまあ歌舞伎町だしね・・相変わらず『イメージ』で描かれた東京である。


「君の名は。」の時もほんのりと垣間見えた女性描写の酷さというか気持ち悪さは今回倍増している。『正統派』の同世代の健気な女の子と、『お色気』のあるオトナの歳上の女性、という恐ろしく類型的な女性描写。それぞれの女性の肉体への主人公の眼差し(いわるゆ『ラッキースケベ』なちょっとしたお色気)。こういう気持ち悪さって言ってしまえば少年漫画や深夜アニメ的で、あの辺の幼い想像力の無さが大メジャーの場で繰り広げられるからとても居心地悪い。
あと「君の名は。」のヒロインも今回のヒロインも、一種の『巫女』として描かれていて、そこにも仄かな気持ち悪さがある。

声優陣の芝居は明らかに弱く、前作の上白石萌音が如何に映画の心となっていたかを痛感する。この中では本田翼が一番良い。


一時期のマイケル・ベイ映画ばりの露骨なタイアップの大洪水はある意味凄い。


物語が選ぶ行く末は『セカイ系』である。別にそれでも良いのだけど、相変わらずの自然災害に対する新海誠の何の悪意もない無邪気さを見ていると、作り手として必要な想像力が欠如していると思ってしまう。幼い。致命的に拙く、幼い映画だった。

ネタバレありの感想を少しだけコメント欄に書きます。
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