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火口のふたりのmのレビュー・感想・評価

火口のふたり(2019年製作の映画)
4.9
(たぶん平日の)昼間っからビールと魚肉ソーセージ片手に釣りをしている柄本佑のシーンで映画は幕を開ける。この世間から外れたプー太郎感、こいつが堂々とダラダラと主役をやる感じ、タイトルバックに流れる昭和っぽい歌、ああ昔気質の映画だ!でもそれが良い。それだからこそ良い。台詞の言葉遣いや音楽が古くてもただの古臭い懐古主義ではない、パンクで爽やかな荒井晴彦節は一周回って若くなったよう。

さてこの映画が描くのはこのだらしないプー太郎の男と、結婚前に元彼を自分から周到に確信犯的に誘惑して寝る女だ。そんな世間から外れたふたりの物語。画面に登場する人物はこのふたりだけ、あとは電話の父親の声くらい(声を演じた人にエンドロールでようやく気付いて笑った)。ふたりだけの世界、けれどもそのふたりの濃密な交わりの後ろに日本の近年の出来事やこれからやって来る終わりが透けて見える。ふたりだけの性と食の時間は閉じておらず、しっかり社会と繋がっている。
だからこそふたりはこのクソったれな社会に背を向けて『気持ちいい』事だけをする。「愛のコリーダ」で軍人達に背を向けて女の待つ宿を目指し逆方向に歩いていく藤竜也を思い出す。映画のラストのふたりの、というか彼女の決断もなかなかに不道徳でアナーキーで、それが本当に良い。もうこんな世の中(そうこの映画の日本とは少し違うが、まさに今私達はディストピアへの道の途中にいる)になるんだから、『身体の言い分』に正直に、好きに生きてやれ。

女の結婚相手が自衛官で「坂の上の雲」に入れ込んだ人、という設定のおちょくりに笑う。職業は原作と同じ設定らしいけど、映画の方向性がより今の日本に批判的な方に舵を切っているのでその皮肉が増している。



『性』が『エロ』にされていない、『女の性欲』が『性革命』みたいな一見女性が主体的なようでその実は男達の楽しみを描く為の免罪符にされていないのが素晴らしい。セックスは見世物ではなく、食事と同じ『営み』として、けれどもこの世に他にない最高に気持ちいい『営み』として描かれる。エロくはないけど気持ちよさそう。飯も美味そう。誰かの欲望やエゴが仮託されていない、さらりと生っぽい『営み』、だからカラッとしていて爽やか。


柄本佑の力の抜け具合、きちんと荒井ワールドに自らを当てはめてくる巧さ。
瀧内公美のずるいんだけどハードボイルドで、毅然とした強さとだらしなさ、そして美しさ(物凄く魅力的だった)。ソファーを何度もバンバンやる所、人間臭くて可愛らしくて最高。
このふたりの役者の素晴らしさが最大限に発揮されていて、この映画に命を与えている。


大ベテラン・カメラマン川上皓一氏の撮影は無私無欲なようで役者の感情の動きに合わせて動くべき時にさり気なく動く。そして女優を極めて美しく撮る。大ベテランのさり気ない技。盆踊りの中を駆け抜けるふたりのカットのハイスピード撮影とストップモーション、文字通り息を呑んだ。


色々書いてはみたが、何より良いのがこの映画は全編ずっと面白いという事。そうとにかく面白い。何故だろう。昔気質の、けれども『今』を生きる素敵な男と女の映画だった。
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