藤瀬

王国(あるいはその家について)の藤瀬のレビュー・感想・評価

3.6
同じシーンのリフレインなど編集8割、手紙シーン脚本(本題)2割って感じ。
鑑賞直後の感想は、もっと物語そのものが動くところを見たかった。くだりは一回見ればわかるし、役者の反復を記録した映像には変わりようがわかるシーンだけじゃ不十分だったのかあ。それ含め演劇の稽古なのはうんまあわかる、分かるが。
構造のすばらしさはもう皆さんが語り尽くしてくれてるので私があらためて言うことって何もないや。

中盤稽古シーンはとにかく情報が制限されるから、自分の思考が駆け回ってた。
・脱構築主義的な話か?
・ナオトのアキへ対する見方が『欲望というなの電車』のスタンリーだし、ノドカに東京人ぽく(それに限ったことではないが)振る舞うアキも同作品のブランチを思い出した。
・読み合わせから役に入り込んでいくとき「こんな邪険にされる役やったら、自分は役に飲み込まれて死んでしまいそう」と気を重くしたり。(手紙のシーンで限りなく自分はアキ側の人間であることを突きつけられたので、杞憂だったな)
そういった思考の変遷を経て、少しずつ稽古は新しいシーンに移っていった。考えがスパークして落ち着いたら、次のシーンを作り上げていくあのテンポ感は、演劇をするということなのかな。

手紙のシーンは、合言葉、暗号回線、シーツと椅子で作る城(どんなだ?)、タイトルといった小道具を持って、演じられた作品の主題がぎゅっと詰め込まれていた。タイトルからなんとなく察していたけど、あらためて主張されると胸焼けを起こしていた。生きてるとよっぽどのことがないと感情の胸焼けってしなくないじゃないですか。そんなふうに心が動いてたの、役者の妙でしかない。すごい。

………

帰宅後、変な気を起こしても話を聞いてくれる友人と電話をした。友人は、私が何言ってるかさっぱり分からないと言いつつも、私の話を聞いてくれた。
一晩経って忘れてしまったので、今更書き留めておく必要もないかもしれないけど、好きなことものに無駄打ちしたくない性格であることを映画を通して話していた気がする。謂わばわたしの王国の作られ方について懸命にしゃべっていた。
そして、もしその王国に快く滞在してくれる人がいるなら、それはどれだけ幸せなことだろう。
そうやって脚本を軽々と越境して考えてしまったので、その体験が私にはとても良かった。個人的な話ですみません。
藤瀬

藤瀬