落ち続ける映画。汽車から飛び降りて荒野に落ちた女が水に飛び込み、滝を前にした決戦を経てもう一度水に飛び込む。サークの映画に登場する「母親」は2度同じように倒れる運命にあるのかも。
・与えられた役割や社会制度を象徴するサークの窓枠に、今作の主人公アンシェリダンは囚われる気配がない。トイレの窓を叩き割って保安官から逃走し、オペラハウスの楽屋でも窓から逃げる。冒頭の雑誌の使い方一つで(暑い車内で冷たい飲み物がないので雑誌を買って煽ぐ)、「世界の涯てに」の逃げ場ない暑さとは異なる、自立した型破りなキャラクター像を示している。窓枠を背景に会話する場面はあったが、アンシェリダンがフレーム内フレームに閉じ込められたショットは一回もなかったと思う。
過去に囚われるのではなく、未来へ進もうとするアメリカ映画らしい主人公像。サークの映画の呪縛から逃れ続ける前向きさが(私がサークを連続で見過ぎているせいでもあるが)爽快だった。
・とはいえサークらしさは随所に。男と女が近づく契機は熊と偶然の銃撃であり、2人の意思ではない。「現実と演劇が一つになる」展開もしっかり入っている。
・西部劇モチーフが活きており、荒野を彷徨う女が家を見つける(教会を建てる)までのストーリーになっている。アンシェリダンは都会から田舎に逃げ、演劇不毛の地の住民に手際よく演出を付けていく。過去を振り払い、田舎に安住の地を見つける。これってサーク自身のことでは?住民の才能が解放される展開は十分面白いのだが、演劇パートで更にもうひとつ爆発してほしかった。