maimai

劇場版メイドインアビス 深き魂の黎明のmaimaiのネタバレレビュー・内容・結末

3.9

このレビューはネタバレを含みます

映画というより、メイドインアビスという物語を総じて見て感じたこと
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💬無数の死を養分に花が咲くように、この美しい世界の底には、数え切れない悲劇が埋もれている

当事者でもない限り、君がそれを知ることはない

君はただ、目も眩まんばかりの美しさに目を奪われ、大地を踏みしめて進めばいい

君の悲劇は糧となり、新たな花を咲かせることだろう
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エピソード11「ナナチ」のOPナレーションである。この言葉は、この物語の根幹を脈々と流れる重要なメッセージであり、そして我々の生きる現実社会を最も痛烈に風刺する言葉であると感じる。
この映画でも、アニメと変わらず、悲劇。悲劇、悲劇の連続だ。「地上」で安穏と暮らしていれば知りもしない悲劇の、その内のほんの1部だ。

それでも、この映画を通してひとつの「悲劇」を目撃してしまった者たちは、何を思うのだろう。どこかに向かおうとするのだろうか。真実を追うことを願うのだろうか?自分も胸踊る探検に出たいと望むのだろうか?闇を追い求めることを願うのだろうか?それとも、その「悲劇」の当事者になることを望むだろうか?この全ては、同じなのではないのか?

これだけは事実だと言える。〝前に進み、探検しなければ、分からないことがある〟そう、映画内のセリフである。

彼らは、教えてくれる。憧れというエネルギーに身を任せ、大切な誰かと共にこの世界を知ることを、どんな困難に阻まれようと、どんな絶望に突き落とされようと、止めない動力があることを。最早母親に会うという目的は「建前」でしかない。「共に冒険をする」その本能的な衝動は、なんだか受動意識仮説を彷彿とさせる。心など生命機関の周縁に過ぎず、身体や、世界の、言いなりなのだと。彼らの心はどのような引力に惹かれているのだろうか。

この引力を、上ではなく、下に向けさせたところは本当に素晴らしい。底、そして闇にこそ、底知れぬ好奇心を引き寄せる、動力が眠っているのかもしれない。

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朝日新聞の『好書好日』「青崎有吾さんが夢中で追った『崖の国物語』 細部まで練り込まれた〈科学と博物学〉のファンタジー」では、『崖の国の物語』という物語と、メイドインアビスを対比させていた。
青崎さんは、記事の中で「虚空に突き出た崖という世界は、先の見えない時代の空気にぴたりと合っていた」と評しており、「僕らはまだ、崖の上に立っている」と締めている。

メイドインアビスは、立ち尽くした崖のその先へと、進んでゆく、進んでゆける、無敵の動力の存在を我々に示す、物語なのである。
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