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魔女がいっぱいのsomaddesignのレビュー・感想・評価

魔女がいっぱい(2020年製作の映画)
3.0
大人が見てもまあまあ怖い

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この世に魔女は実在し、世界中に潜んでいる。いつまでも若く、おしゃれが大好きな魔女たちは、人間のふりをして普通の暮らしを送りながら、時々こっそりと大嫌いな子供達に魔法をかけていた。
1960年代アラバマ。とある豪華ホテルに現れた、おしゃれで上品な美女たち。しかし、彼女らの正体は魔女。魔女たら数年ぶりに魔女の集会が行われようとしていたのだ。
「チャーリーとチョコレート工場」で知られる児童文学作家ロアルド・ダールの同名小説をロバート・ゼメキス監督が映画化。

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ロアルド・ダールといえば「チャーリーとチョコレート工場」の二度の映画化のほかに、ティム・バートンの「ジャイアント・ピーチ」(96年)、ウェス・アンダーソンの「ファンタスティックMr。FOX」(09年)、スピルバーグの「BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント」(16年)と巨匠がこぞって映像化するほど後世への影響ハンパなし。
ほかにも宮崎駿がファンを公言し「紅の豚」‘や「風立ちぬ」でオマージュを捧げたことでも知られるし、「おジャ魔女どれみ」の創作のヒントになったことでも有名。
今作も90年「ジム・ヘンソンのウィッチズ/大魔女をやっつけろ」に続く二度目の映画化。人気あるなー。

BTTFシリーズで知られるヒットメーカー:ロバート・ゼメキス監督。多彩な作風の中でも今作は「永遠に美しく」「ベオウルフ」や「さまよう魂たち」方向。もともと子供トラウマなダークファンタジーの名匠でもあって、ロアルド・ダール原作との相性良さげ。(結果的に『混ぜるなキケン』だったかも💧)

舞台を60年代のアメリカ・アラバマに移し、主人公を貧しいアフリカ系アメリカ人に変えたことで、現代まで続く人種差別や経済格差が根底に流れる物語変わった。
魔女は貧しい環境の子供を狙う。急にいなくなっても大騒ぎにならないから。貧者弱者がターゲットになるのは現実によくある話。すぐそばに怪物がいるかもしれない怖さ(しかも人間そっくりで見分けがつかない)って子供ならマジトラウマ級。

ことほど左様にファミリー向けのフリして、子供が見るには心に大きな傷を残す可能性のある恐怖が矢継ぎ早。まず両親の死ってだけでキツいのに、新しい環境にやっと馴染めたと思ったら魔女に目をつけられるし、逃げた先は魔女の集会。まんまとみつかってネズミに変えられるって、子供によっちゃあ悪夢でうなされるレベルのホラー展開だと思う。

少年の冒険物語にしては、物語を通じて成長してる気がしない。そもそも少年が超えるべき課題がなんだったのか? 大人の残酷さ? 理不尽に弱者を踏みつけにする世の中? なんにせよネズミに変身した途端、性格も変わってしまうので経験が成長に寄与しない。冒険を通じて彼らが得たもの/失ったものが明確なようで不明瞭。

もともとは脚本のギレルモ・デル・トロが監督する予定だったそうで、デル・トロのダークでクトゥルフ味溢れるセンスが随所に見え隠れ。そのせいか、過剰なまでに魔女の造形がおっかないことこの上ない。

終わってみれば、60年代アメリカ南部に舞台を変更した件も生かし切れず、コーンブレッドやフライドチキンなど黒人文化を記号的に扱いすぎて、逆に失礼で差別的描写に見えちゃった。何より魔女の造形が原作を越えて過剰にグロテスクになっちゃったもんで、欠指症を連想させる差別的な表現だとして障がい者団体や国際パラリンピック委員会から怒られる始末。(映画会社はもとよりアン・ハサウェイも謝罪した)
とどのつまり、何がしたかったんだかよく分からなかった。

さらにはあの衝撃的ラストの着地。
主人公自身もお婆ちゃんもあんまり救われない決着にあんぐり。もしこの映画から寓話的なメッセージを受け取るならば「すぐには変われないから、今も次の世代も変わり続ける戦いをやめちゃダメ!」かしら?
例え話が煮詰まって別の例えを足してたら、もともと何の話だったか分からなくなった感じ。


アン・ハサウェイの悪魔的な美貌や60年代ファッションの煌びやかさ。魔女たちが揃ってチェック柄を着ていて「すわ、鬼○ブームがこんなとこにも!?」て反応しちゃうのが2020年的で面白かった。

68本目
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