kojikoji

グレース・オブ・ゴッド 告発の時のkojikojiのレビュー・感想・評価

3.8

No.1550
2024.01.04視聴 
オゾン-21(2018年作)6/31

オゾン監督には珍しい社会派映画。

オゾン監督作品全鑑賞を目標にしているので鑑賞したのだけど、この事件に日本の事件が重なって、それに対する怒りが込み上げてきて、書きあげたものは到底レビューと言えるような代物ではなかった。

それで全部消して改めて映画にかかる部分だけにした。だから日本の問題は取り上げていない。

2002年のアメリカ映画「スポットライト世紀のスクープ」を思い出させる映画だ。
というよりそのものの映画だった。違うのは焦点を新聞社に当てるか、被害者に当てるかの違いだけだ。

このグレースオブゴッドは「スポットライト~」から遅れること約15年、フランス全土を震撼させた神父による子供への性的虐待事件「プラナ神父事件」を映画化したものだ。
犯罪を犯したのはアメリカと同じカトリック神父だ。

2014年、リヨンに住む40歳のアレクサンドルは、プラナ神父から受けた性的虐待を受けた過去に苦しんでいた。40歳なのだ。

そんなある日、彼はプレナ神父が今も聖職者をしており、再びリヨンに戻ってきたことを知る。
彼は自分のような新たな被害者が出るのを止めるため、過去の事件の告発を決意する。
だが、それは同時に、社会や家族との軋轢を生じさせる戦いの日々が待っていた。
彼の行動がきっかけになり、次第に被害者が声を上げ始める。この映画では、主人公がバトンタッチしていくように描かれている。
アレクサンドルからフランソワ、そしてエマニュエルへ。
このエマニュエルはPTSDを発症していてその症状には正直驚いてしまった。精神的ストレスばかり意識していたがこんなことになるのかと改めて性被害の恐ろしさを知った。
この輪は大きく広がりついに被害者の会を立ち上がることになる。

 表面は、いかにも協力するような姿勢を見せながら、のらりくらりと最小限に世の批判を抑えようとする教会にイライラする。しかし確かにこれが現実だとも思う。
 親達、つまり社会全体にカトリック、教会が浸透していて波風を立てない雰囲気がありありと見えてくる。
 しかしこれこそが、プレナ神父みたいな化け物を作り上げた原因、土壌であることを知らなければならない。

権力は腐る

必ず腐る

権力は風が入らない密室だから。

このことを我々は肝に銘じ、全ての権力(特に強い権力)には必ず第三者の監視ができる仕組みを持つ社会を作らなければならないと思う。
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