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フリーソロのFHTのレビュー・感想・評価

フリーソロ(2018年製作の映画)
4.7
人の生き様が伝わるドキュメンタリー

こういったものにめっきり弱いぼくだが、今回もまんまと動けないくらい泣かされました。

人の生き方はそれぞれあるけど、ぼくの生き方は彼と似ていて、何かに挑戦したい。自分という存在を示したい。自分の選択に逆らいたくない一心で生きている。つまり厨二病なのだ。

フリーソロという競技は生と死が紙一重で、一歩間違えたらこの世ともお別れだ。

彼がフリーソロに挑戦するまでに至って、さまざまな試練があった。
その多くは彼女という存在だ。彼女が原因で2度も崖から落ちてしまった。

彼の集中力を妨げる存在まではいかないが、何故か事故が重なってしまったのだ。 このままではダメだと彼女との別れも考えたが、お互い必要としているパートナーだから決して喧嘩をしたり争ったりする事は無かった。彼はそういう人、彼女はそういう人と理解しあっているからこそ鎖はどんな事があろうと解けないものだ。

怪我が治りかけた頃、彼はロープがあるクライミングに刺激を感じなくなり、新たな挑戦へ。
それは、970mの岩肌をロープなしのフリーソロで登るというものだった。

この挑戦を両親は知らない。知らないふりをしているのだ。「子供の頃は内気で一人でしか遊ばず孤立していた息子が人生で一番の輝ける場所を見つけたというのにそれを奪うなんてことは出来ない」と母親は語る。"この輝きを奪う事は息子を殺すのも同然だ" と
生と死が隣り合わせな競技に挑戦する息子を見守る母は、息子以上に立派に思えました。

彼はこの挑戦を決めた時こうも語っていた。
フリーソロ以外でも生と死は隣り合わせだと。
理論上はそうである。
が、周りの人はどうだろう。
僕も過去に友人を2人見送っている。 1人は事故で。1人は自ら命を。それとこれとは何か違うのだ。
生きた人が生きたいのに自ら死ぬかもしれない場所に行くのだから。
止めれば助かる。だが、挑戦は絶たれる。
止めなければ最悪命を失う。だが、挑戦する事が出来る。
この選択は周りが決断する事ではない。本人が決める事だ。

そして彼は誰も達成出来なかった挑戦に挑む。
沢山の仲間がこの競技で命を落としたフリーソロに彼は立ち向かう。

前日、彼女はあえて彼から離れ1人の時間を作った。
彼がそう望むのを理解しているからだ。自分の為ではなく大切な人の為への選択だ。
挑戦している様を撮影する仲間達も気が気でないだろう。
仲間が死ぬ所を目の当たりにするかも知れないのだから。
目を背けたいが、撮影はしなければならない。

これ程の緊張感を味わえるのはドキュメンタリーこそだ。


あなたにとって、あなた自身が一番輝ける何かはありますか?
もしあるのならそれを大切にして欲しい。例えそれが否定されようとも、僕は応援します。
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