くじら

ミッドサマーのくじらのネタバレレビュー・内容・結末

ミッドサマー(2019年製作の映画)
2.4

このレビューはネタバレを含みます

面白いとは思った。思ったけど!悲しい…となったので書いておく。
●まず、没入感を感じなかった。アリ監督が色んな映画のオマージュや、細かいネタ入れを好きなことは知っているが、そのせいでちょっと足を引っ張られた。ダニーのトラウマが随所に表現されるが、その粒度や盛り上がりがあまり掴めない。ダニーにノレない。木々に妹を混ぜ込むのは最早「あれ?ここに入れられるんじゃない!?」って埋めていったのか?と感じられ、愛のあるシーンとは思えなかった。あとクリスチャンの目を片方ずつつぶらせ、片方ずつ開かせるシーン。やってみるとわかるが、人間の視覚はあんな風にならない。考えられるのは、クリスチャンが特殊な視界領域を持っているか、何かの映画のオマージュかだろうけど、どちらにせよ独りよがりのお楽しみを見せられた気分になった。
私は結構、演出の妙やオーバーラップは好きな方なんだけど、何故かアリ監督作品には必然性を感じないんだよなあ。
●そして、ホルガ村の宗教が不完全だったことで私はひどく悲しかった。72歳で死を迎えること、贄は立候補するほど名誉あること、私たちは自然とともに死と再生を繰り返すのだということ。ホルガ村の思想は随所で語られる。
私は、カルト系ムービーは、「少なくとも村人たちはそれによって救われていること(そうでなければ崩壊にフォーカスしてほしいこと)」「リアリティがあること」を評価ポイントとしている節があるんだけど、1点目が72歳と贄のタイミングで完全に裏切られた。
ホルガ村を理解しようとしたのに、実はその宗教は欺瞞が満ちていた。司祭は少なくとも知っているのではないか。そんなのひどい。わたしだけ真面目に信じていたのかよ、と悲しい気持ちになった。誰も幸せにならないような伝統が、90年という長いスパンで何かを成せるとはとても思えない。
そしてリアリティの部分。全体的に、ホルガ村はディズニーランドのようだった。誰が家のメンテナンスをするのだろう、誰がどのように獣を狩り、狩人の衣はどんなもので、誰が洗濯するのだろう。宗教の神聖さを表したいのであれば、もう少し信仰に耐えうるものであってほしかった(前述)。信仰の強度への懐疑とリアリティのなさから、どうしてもノりきれなかったし、頑張ってノったのになんか全然そっちは冷めてるんだねって気分。
●あと1番言いたいのは、これが流行った時に色んな人が「お化け屋敷的でない」「いわゆるびっくり系ではない」と散々褒めそやしていたけど、出てくるものが違うだけで全然そういう手法は使われている。グロテスクなシーンも出てくるし、背後にいるものに突然カメラが移動することもある。だから、これを「単なるホラー」にしたくなさすぎる人たちのせいで、本当にホラーが苦手で嬉々として勧められた結果傷ついた人たちがたくさんいるのではないかと思う。自分の体験を過度に奇怪なものにしたくて人を巻き込むのはやめてくれ。
くじら

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