伊達巻

私が、生きる肌の伊達巻のレビュー・感想・評価

私が、生きる肌(2011年製作の映画)
5.0
マジで120分間ずっと面白い面白すぎて開いた口が塞がりませんでも最後はちゃんと塞がるんだよな狂気さえ抱き抱えるアルモドバルらしさのあるエンディングだったように思う、一応書いておくとセックスシーンなどかなり苦しいところもあるのでだめな人はだめかと思う。愛する人が帰らぬ人となってしまって絶望してどう乗り越えていくか?そっくりの人を作ってしまえばいい、ぶっ飛びすぎだがこの天才外科医の手にかかれば説得力というものがある、欲望を叶えたいという欲望自体はたぶん多くの人が経験しているもので、それを実際にやってのけているんだから(しかもそれもあくまでこの物語の大前提にすぎない!)ある種の共感に近い関心を持って観る。が、まさかの「6年前…」でさらにたまげる。感動さえ物語に裏切られ怒涛の展開に圧倒されもはやクソ面白いなくらいの感想しか持てなくなってきた頃、はじめからこうでしたと言わんばかりの当然の物語に帰結していく。何も肯定せず、それでいて全てを肯定するように。全てを否定し、それでいて何ひとつ否定しないかのような曖昧さを残しつつ。たぶんこの映画は絶対的な「正解」を語ってはいなくて、強いて言うならいっさいを物語の狂気に委ね、自らの心根の揺らぎを体感していくことが唯一の正解であるのではないかと、今は思う。過去に囚われ現実を過去と同化させようとする(そして半ば成功する)人と、過去の誤ちとはほとんど無縁の現在を生きようともがく人の対決。どっちも間違っていて、どっちも間違っていない。それとなく好意を寄せていた相手との再会、奇跡の邂逅には胸がつまる。アルモドバルまだそんなにたくさん観れてないけどいろんなものを省略する人なんだなと思った、何がというと上手く言えないんだけど、単純にシーンの繋ぎ方においても物語の紡ぎ方(それこそ唐突に6年前に戻るというのもある種の省略と言えなくもない?)においても、抜け落ちているというのとは違う意味で多様な省略が為されている。でもその省略の鮮やかさと言ったらなくて、どの省略においても例えば愛や想いの糸で互いに結ばれ合っている…そんな気がする
伊達巻

伊達巻