サラリーマン岡崎

わたしは光をにぎっているのサラリーマン岡崎のレビュー・感想・評価

わたしは光をにぎっている(2019年製作の映画)
4.5
私はアカウント名の通り「サラリーマン」であり、
この映画で描かれる昔ながらの商店に勤務はしていない。

私たちは就職するときの面接で「志望動機」を必ず考える。
しかし、主人公の澪は実家の旅館をたたむことになったので、
京介の銭湯で働くことになったし、京介も親から受け継いでいる。
だからこそ、映画の中で出てくる「出来ることから始めてみる」ことが
本当に良いのだと感じることができる。

私たちサラリーマンはその「志望動機」からくる目標に目指して仕事をする。
その中で、がむしゃらになりすぎて、自分が何を行なっているかわからなくなる時が多い。
しかし、「出来ることから始める」ということは、
目標があるのではなくて、「出来ること」から生まれてくるものの素晴らしさに段々と気づいていき、
その「出来ること」がより大きくなっていき、そこから生まれるものもより素晴らしいものになっていく。
最初は風呂掃除だけしか出来なかった澪が、みかん風呂を企画したりするように(クレームは来てしまうのだが)。
最後に澪がする仕事はそれの集大成である。
その「出来ること」から生まれるものは、
商店だからこそであるが、より人間味が出るものである。
序盤に京介が澪に対して「お客さんのこと想像しろ」という言葉がそれを表している。

そして、開発に伴い、各地域の商店がどんどんと無くなっていくことをこの映画では描く。
それは、そういった「人間味」がなくなることを意味している。
「出来ること」から成り立っていく社会の良さが無くなっていく。
この映画ではその開発自体を批判するのではなく、
無くなっていくその商店の「人間味」を忘れないでほしいと伝える。
だから、「終わらせ方が大事」なのである。
無くなったとしても、みんながちゃんとそのことを覚えてもらえるように。

私もサラリーマンとして働く中で、
色々と見えなくなってしまうこともあるけど、
「出来ること」から少しずつ素晴らしいものを生み出していきたいな。