No.2515。【臭いは格差の象徴なのか】
「半地下」ってのがいいですよね、「地下の家族」だと、その時点でなんかいろいろ終了しちゃってる感がある(笑)。地下から地上に出るのって、エネルギーいりますからね。そこへいくと「半地下」ですから、ちょっとがんばればすぐ地上へ出れるし、地上へ出なくたって、ちょっと見上げれば地上の様子がわかる。
実際、見上げたら家の前でおじさんが立ちションしてる。でもこの家族はそれをまるでテレビのバラエティー番組でも見てるようにみんなで笑いながら見てる。この時点で「あぁ、この家族は意外と深刻じゃなさそうだな」と印象づけられるわけです。
(実際は、その立ちションしてるおじさんにすら見下ろされるような半地下世界に住んでて、立ちション見ながら食事しなきゃいけない境遇に慣れちゃってることこそ深刻なわけですが)
後半のバイオレンス描写がちょっときつい感じはあるんだけど、それまでほぼ全編にわたって、豪邸の中とか半地下とか地下とかの、閉鎖空間ばかりで話が展開していくから、人物があまり自由に動けない。閉塞感と束縛感がある。
だからその反動として、人物を一気にバーーッと動かすには、あれくらいバイオレンスにするのもありなのかもね。
まず、見始めてすぐ関連して思ったのが、是枝監督「万引き家族」と黒沢清監督「クリーピー 偽りの隣人」。
「万引き家族」も同じ格差社会を描いているけど、パラサイトと家族関係が逆。パラサイトは、半地下の家族がそれぞれ他人として各自が豪邸に雇われていく。一方、「万引き家族」は、血縁関係のない他人同士が本当の家族として暮らしている。この辺の対比はおもしろいね。
また、家の中に「隠された別室や地下」があった、という点では「クリーピー」も同じなんだけど、あれは家の構造からしてもあんな部屋があるのはおかしいのでリアルではない。パラサイトの場合は北朝鮮対策のシェルター用なのでリアル。まぁ、どちらもめちゃめちゃ不気味な空間であることは一緒だけど。
ところで、本作は題名が「パラサイト」だから、これは半地下の家族が金持ちの家に「パラサイト」していく映画だと思うと、もちろんそうなんだけど、それだけじゃないことに気づくよね。
豪邸の地下に隠れて住んでた家政婦の旦那もこの家にパラサイトしてた。旦那がパラサイトしてるから、当然その奥さんも家政婦としてこの家にパラサイトし続けなきゃいけない。
それに、この「豪邸自体」が、住む人たちのほうに逆に「パラサイト」してる、という見方もできるね。
この豪邸が、住んでる人間を翻弄し、惨劇を引き起こし、結果金持ち一家は引っ越していってしまった。これはもうパラサイトどころじゃなくて、家型モンスターだね。
映画全体としては構造上、当然、「上下移動」を意識しまくって作られてる。半地下~地上~半地下、豪邸の中でも1F~2F~1F~地下、と、まぁよく上がったり下りたり忙しい。
そんななか、移動が上下だけにこだわらず、どこでも自由に移動できるものがこの映画の中に出てくる。しかも超重要。
それが「におい」。
「半地下には半地下のにおい」があって、
「地上の豪邸には地上世界のにおい」がある。
末っ子のダソン君が早速、キム一家の父と母のにおいを嗅いで、その「同じ半地下のにおい」に気づいちゃう場面は、においが観客に伝わることのない映画の盲点をうまく逆利用してて「ポン・ジュノ天才かよ」と思ったw。
今年のアカデミー賞では予想を大きく上回る6部門ノミネート!
(作品賞・監督賞・脚本賞・美術賞・編集賞・国際長編映画賞)
惜しむらくは、ソン・ガンホが主演男優賞にノミネートされなかったこと(同時に私は妻役のチャン・ヘジンのゾクゾクするような「怪演」がよかったですね。阪本順治監督の「顔」で同じく「怪演」を見せた藤山直美さんを思い出しました。
こういう素晴らしい存在感を示した女優が普通にアカデミー賞でもノミネートされるようになってほしい!!!)
国際長編映画賞(去年まで外国語映画賞)はほぼ当確として、あといくつ獲れるのか!? オスカーの受賞予想はまた後日やります。