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Kladivo na carodejnice(原題)
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『Kladivo na carodejnice(原題)』に投稿された感想・評価

Cem
3.5
本格的な魔女映画、といった感じ
怖いっていうかお婆ちゃんが拷問されたりしてて嫌な気持ちになるな
針のトゲトゲの椅子とかあったけど恐ろしいし、足の骨を砕くみたいな器具とかも怖い。
オープニングの歌がジワジワくる
英題「Witches’ Hammer(魔女たちへの鉄槌)」。17世紀チェコで100名以上が犠牲となった悪名高い魔女裁判事件を描く歴史実話映画。監督はチェコ・ヌーヴェルバーグの父オタカル・バーブラ。反体制的な内容が問題視され、彼の教え子ユライ・ヘルツ監督の「火葬人」(1968)と共に20年間上映禁止となった。

1678年、チェコ・モラヴィア村での日曜礼拝。農民の老婆が病気の牛を救いたいと授かった聖体(パン)を口から出して持ち帰ろうとした。この些細な不敬事件を裁こうと、女性領主は野心家の審問官ボブルを抜擢する。好機ととらえたボブルは異端審問の指南書『魔女たちへの鉄槌』※を根拠に老婆を拷問し、虚偽自白させて火系に処した。これに味を占めたボブルは無実の市民を次々に火刑台に送り込み財産を略奪し始める。人道を貫く神父ラウターはボブルの暴走を止めるべく村の教会責任者オリュムヌス司教に訴えるが、既にボブルからの賄賂が渡っており握りつぶされる。やがて『鉄槌』に掲げられた「魔女の存在を疑う者は、悪魔の協力者である」との論理が教会全体を支配。神父ラウターと義理の娘ズザナはボブルによって捕らえられ、「スペイン靴」などの残虐拷問によって虚偽自白を迫られる。。。

※『魔女たちへの鉄槌』(1486)はドイツの修道士ハインリヒ・クレーマーによって書かれた魔女狩りの理論、拷問自白、処刑法のガイドブック。何世紀にも渡って魔女狩りの法的根拠とされ、数万人を火刑に送り込んだ“史上最も有害な出版物”の一冊。「女性は本質的に知性が低く欲深いため、悪魔の誘惑に乗りやすい」という凄まじい女性蔑視に満ちており、それが「魔女=女性」という構図を決定づけた。

魔女狩り映画の殆どは権力批判を内包している。これまでにドライヤー監督「裁かるるジャンヌ」(1928)からエクスプロイテーション映画まで数十本の魔女狩り映画を観てきたが、中でも本作は権力に対する恐怖と怒りが最も強力かつ切実に込められた一本だった。

あまりにも理不尽な異端処刑の過程が端正な映像で冷徹に描かれている。シナリオはチェコの教会に残っていた17世紀の裁判記録を丹念に調べ上げ忠実に再現。登場人物たちは全員が実在した人々で、映画ロケも現地で行われたとのこと。

冒頭で村の女性たちの楽し気な入浴シーンが映るが、その狙いは欧米のエロティックホラーとは違い、後に悲劇に見舞われる無実な彼女たちへの残酷な布石。村人たちは抵抗の余裕もなく次々と連行され火刑台の数は倍速で増えていく。神父ラウターがキリスト教の教義を挙げて処刑を止めるように説得しても、ボブルは異端審問の指南書『魔女たちへの鉄槌』を法的根拠に「私は神学者ではなく法学者だ」とうそぶく。

ちなみに指南書『魔女たちへの鉄槌』はクリテンセン監督による古典映画「魔女」(1922)でも解説されていたが、その現実世界での有害性は本作を観るまで個人的に実感できていなかった。

映画は進むにつれて絶望を深め、史実通り最悪の結末へと進む。「私は凡人を超越した」とカメラ目線で宣言するボブル。悪が勝利するという痛烈な皮肉に満ちた演出は「火葬人」を彷彿とさせるが、本作には実話ならではの忌まわしいダメ押しがある。自分への教訓としてラスト字幕を後に書き写しておく※

同種の映画としては前年の英国ホラー「Witchfinder General(魔女狩り将軍)」(1968)が思い浮かぶ。本作と同年代の17世紀イングランドに実在した魔女狩り請負人マシュー・ホプキンスの残酷非道を描いてカルト的な人気を誇っている。ただしあくまでエンターテイメント作品であり史実に大幅な脚色が加えられて最後は勧善懲悪で締めくくられる。

対して本作が歴史的事実にこだわり嫌悪感すら抱かせる悲劇を貫いたのは、映画の内容が当時のチェコの状況と地続きであることを強調したかったのだと推測する。1969年のチェコは「プラハの春」で得た自由が、新たな独裁政権によって“正常化”の名のもとに弾圧されていた。知識人や映画人の多くが「反革命分子」のレッテルを貼られ社会の敵として排除。かつて改革を叫んだ一部の官僚や知識人が保身のために次々と体制に屈服し信念を守ろうとする者を見捨てたのは、本作のラウター神父が処刑されるに至った構図と同じだった。加えて、1950年代のスターリン主義下で公然と行われていた拷問によるスパイ活動の自白強要が再び実行されるのではないかという危惧も持たれていた。

本作は明らかに当時の体制を揶揄しており、それ故に上映が禁止され20年間封印されたのだ。“悪が体制そのものになったとき正義は無力である”という警告には普遍性があり、現在の世界ではむしろ有効性を増していると思われる。自分が魔女狩り映画を観続けてきた意味はその認識を深めることにあったと言える。

指南書『魔女たちへの鉄槌』が極めて女性蔑視(ミソジニー)に満ちていること、現代のインセルと共通点があることを注目しておきたい。


※ラスト字幕
「こうして、シュムペルクの主任司祭クルィシュトフ・アロイス・ラウターは、1685年9月18日、生きたまま火刑に処された」
「彼の死によっても、ボブル審問官の狂気が止まることはなかった」
「その後の裁判において、さらに100名以上の無実の人々が魔女として処刑され、その財産はすべて没収された」
「審問官ボブルは、それらの略奪した莫大な富によって、シュムペルクに豪華な邸宅を建て、生涯を安泰に過ごした」
「彼は自らの罪を問われることも、裁きを受けることもなく、1696年、80歳を超えてその天寿を全うしたのである」
3.5
映像がかっこいい魔女裁判ポルノ映画