このレビューはネタバレを含みます
【時代の奔流】
“寡作の巨匠“テレンス・マリックの、ほぼほぼ3時間というハードルの高い作品。時間の融通の効くこの時期だからと観にいってみた。わざわざ立川まで行って。この映画館、座席がリクライニング付きで両側に肘かけのあるラグジュアリー仕様。左右前後の客ともたっぷりの間隔があいていて、この時期、うってつけの映画館だった!(喜)
作品は、第2次世界大戦時のオーストリアが舞台。ナチへの忠誠を拒み信念に殉じた実在の農夫の物語を映画化したもの。ただただひたすら暗く重く救いがなく、テイストとして『沈黙』の様相。
晴れていれば、まるで『サウンド・オブ・ミュージック』のような山と谷に囲まれた美しい村が、常にどんよりと暗いお天気。その村に残された妻と3人の娘、いや、ただ残すだけでなく、家族までもが裏切り者として村人たちから迫害されていく。それを良しとする主人公に、なんら感情移入は出来ないが、主人公への共感を望む作品ではないのだろうなあ。
戦争は・・・・・・と言うか、集団による暴走は、個人の抵抗では何も変わらないことを思い知らされるのみならず、マスの意思(無意思?)に流される人の脆さや残酷さを、この作品は露わにする。この映画の中で描かれる無垢で純粋な山岳地帯の素朴な村の住人ですら、戦争へ荷担することをいとも簡単に良しとし、国家への恭順を示さない者を容赦なく、さも当然のように村八分にする様に、今の時代を映すかのようでゾっとするものがる。
頑なに抵抗を示す主人公フランツ、それに呼応する妻ファニ。戦況が悪化し、村の中には残された家族にこっそり同情し助ける村人も現れるが、その存在さえも救いとは思えず、むしろ、小さな良心くらいでは国家の意思の前には無力であるとさえ思わさせる。
新型コロナのパンデミックのタイミングで日本での上映となるとは誰も予想してなかっただろうし、疫病ではなく忍び寄る戦争の影をイメージしての製作だったとは思うが、何であろうと国家レベルでの判断が迫られた時に、集団はどういう行動を起こすのかを不気味に描き出す予言めいた作品かもしれない。
同じ状況に置かれた時に、我々はフランツのように信念を、正しいと思う行為を命を賭して貫けるだろうか。「お国の一大事」という大義名分に流されずに、時代の奔流の中で自分は、すっくと足を踏ん張って立っていられるのだろうか。
まったく共感できない主人公と家族の行動に、それでも考えさせられることは多い。
おススメできないが、なかなか深い作品。
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(あまりネタバレない)
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ひたすら我慢して観る作品なので、特にネタバレもない。広角レンズを使った特異な絵面が印象的だった以外は、上記したこと以上のことはほとんどない。撮影監督のイェルク・ヴィトマーがテレンス・マリックの意を汲んで、新しい表現に挑んだようだが、歪んだ周辺部の異様さと、長回しして撮影したものを時折ぶつ切りして繋げたような編集が、ストーリーの不穏さを強調していたかのようだった。
実在の人物だったと鑑賞後に知った。フランツ・イェーガーシュテッターという農夫の「良心的兵役拒否」によって死刑になった半生。原案は「Franz Jägerstätter: Letters and Writings from Prison」という夫婦の書簡を編纂したものだそうだ。だから、作品の中でも、互いの手紙のやりとりが度々描写されていたのね。
ただ、すごいのは、牢屋にいて何もすることのない夫より、村で迫害されて、生活困窮の妻から夫に対して「あなた、早くヒトラーに頭下げて!」と一切懇願しないことだった。なぜ、せめて生活苦を訴えることくらいしないのかと不思議だった。当然、検閲されるから、ヘタな説得は逆効果にでもなるのかと思っていたが、どうやら、妻のほうが熱心なカトリック教徒で、人の命を奪い合う戦争という行為を良しとしない信条を強く抱いていたようだ。夫と共に耐えてでも、ナチスには加担しないという強い意志を持ち続けていたということか。
無宗教な自分には、なかなか理解しがたい心情だ。
近年、フランツは殉教者として認められ、ローマ教皇(ベネディクト16世)によって名誉を回復され、リンツ新大聖堂に使途の一人として祀られているそうだ。映画では、その後のことには一切触れられておらず、敢えてそれさえも伏せて、戦争と言う集団的狂気の前での個人の信念の無力さを強調したのだろう。
その徹底ぶりも相まって、ひたすら、重い作品だった。