【主人公】
イ・チャンドン監督の新作『バーニング劇場版』の公開に際し、過去の作品がデジタルリマスタで上映されている。未見の作品だったし、『バーニング』をもし観るなら観ておこうかね、と鑑賞。
昨年ソン・ガンホ主演の『タクシー運転手』を観て、光州事件にちょっと興味を持ったこともあり。この作品もそれに少し関係ある。
とはいえ、事件そのものは本作では大きく取り上げられていない。だけど、我々から少し上の世代の韓国の人にとっては、少なからずのトラウマなり、なんらかの背負って立つ時代背景になっているのだろう、ということが分かる。アメリカのベトナム戦争? 日本の60年安保? そんなイメージかな。
個人的な本作のBGMは、これ♪
「或いは」「もしも」だなんて
あなたは嫌ったけど
時を遡る切符(チケット)があれば
欲しくなる時がある
あそこの別れ道をやり直せるならって
(「主人公」 by さだまさし)
まさに、そんな作品。
観終わったあとは、韓国料理を食べに行った。
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(ネタバレ、含む)
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もう20年も前の作品なので、ネタバレもなにもないかな。
上記、まっさんの歌も思い出していたし、直木賞作品の『利休にたずねよ』(山本兼一著)の手法だなぁと2つめの場面あたりで気づく。切腹の前日から時を遡り、利休の美学の根源を探っていく、なかなか構成の妙が光る作品だった。
本作は、現代(当時)の1999年のピクニックのシーンから始まり、精神的に破綻している主人公がなぜそうなったかを、まず3日前に遡り、その理由を観客に分からせる。なるほど、もう自暴自棄になるしかないか。では、なぜそうなったのか? それを時代を遡って彼の人生を辿っていく。
1994年の独立起業時のワンマン社長っぷり、1987年の暴虐な刑事時代と、ずいぶん荒んだ暮らしぶりが描かれる。こんな奴なら自業自得だなと観客にまずは思わせる。
ところが、さらに時を巻き戻してみると、1984年の新米刑事の頃はいやいやながら容疑者を尋問する姿が描かれ、光州事件の1980年、兵役時代に心身ともに傷(トラウマ)を負うエピソードが明らかになる。
なるほど、こうして純真無垢の人間の精神が、時代に翻弄されて歪んでいくのかという抗いようのない悲哀を感じさせられる。
時代と時代の間には車窓から見る線路のシーン。それが全て逆回しで挿入される。まさに”時を遡る切符”だ。
そうして、ラストのシークエンスは1979年の学生時代。1999年のピクニックと同じ河原に仲間と、そして初恋の人と居る主人公の姿。汚れてしまう以前の彼は、心を寄せる女性に名もない野の花をそっと手渡すような、将来は植物の写真を撮りたいと願うような、心優しい青年であることが分かる。
こんなピュアな精神が、光州事件のような国家の横暴や、徴兵、さらに経済破綻という世情に弄ばれる悲しさを描いた作品ということが分かる。なかなか重い。
確かに、こうして遡ると、あの時こんなことがなければ、という思いはあるが、きっとこの時代、彼のような体験をした人はひとりじゃないはず。
もちろん、戦争、政変など個人の精神に異常を来たすようなことは起こらないにこしたことはないけど、そんな経験を経ても立ち直り、よりよい人生を送っている、送ろうとしてきた人もいたはず。
薄情なのかもしれないけど、私は、彼には感情移入できなかった。「或いは」「もしも」だんなんてを嫌うタイプの人間なので。すいません。
とはいえ、恐らく本作は、権力にモノ言う作品なのでしょう。個人の弱さをクローズUPして、御公儀(おかみ)に、まっとうな国の舵取りをやってくれ!と言っている。そのあたり鑑賞する国民で主題の取り方、感じ方に違いがありそう。
そんなことを思いつつも、1979年のピクニックで河原にいる純粋な青年だった主人公に対して、彼の将来を見てしまっている身としては複雑な気持ちになる。。
彼は「ここには来たことがあるような気がする」と呟く。ループものは安易で好きではないけど、輪廻転生して、彼の次の人生では、どうか自分を幸せにしてほしい。
「小さな物語でも、自分の人生の中では、誰もがみな主人公」
なのだから(「主人公」作詩/作曲 さだまさし)。