みかんぼうや

家族を想うときのみかんぼうやのレビュー・感想・評価

家族を想うとき(2019年製作の映画)
4.4
【ケン・ローチの悲観的だが実にリアルな家族描写。映画やドラマのようにはいかない人生の試練の沼。】

最初から最後までなんともいたたまれない胸が締め付けられるような映画。ケン・ローチがこの作品で見せたかったことは、人生とはそこでぶつかる様々な困難を映画やドラマのように着実かつ綺麗に解決できるものではなく、理不尽で不条理なことが続く毎日であっても、ほんの刹那の幸せのために、苦しい思いをして乗り越えていかねばならないという彼の悲観論なのか?それともこんな状況を作ってしまっている社会構造や政府への批判なのか?
そんな世の中でも耐え抜き、働き続けて生きていける力の源泉が家族との繋がりや支えであり、そこから生まれる「家族のために」という思いである、ということが彼の悲観論の中に見える僅かな光ではあるが、それでも本作の家族を取り巻く環境は酷である。

がしかし、この“酷”こそが、皮肉にも映画やドラマの話ではなくイギリスの低所得階級において当たり前のように起きている事実なのだ、ということに、彼は引退を撤回してまで、改めて目を向けさせたかったのだろう。ケン・ローチの作品は「私はダニエル・ブレイク」に続いて2作目だが、この両作で描かれているのは、一貫して低所得階級が直面している非常に厳しい生活環境のリアルである。また両作に見る彼の作風は、過剰な演出も余計な音楽も一切ない、そこにいる普通の人たちの人生の断片に焦点をあてて切り取ったようなドキュメンタリータッチの映像で、この作風が現代社会で今起きている真実をありのままに伝えるという彼の意思表示のように見える。

本作の主役である家族は、父がトラック運転手、母が訪問介護士であり、これらの仕事がいかに労働環境として厳しくストレスフルであり、その拘束時間から家族と自由に過ごす時間さえもまともに作れない仕事であるか、ということを赤裸々に見せつける。この劣悪な環境は、利用者側が当たり前のように求めるものを従業員の超過労働という形で補わなければならず、それをコントロールしきれていない会社の問題が大きいものの、その“利用者側の当たり前のニーズ”に対応せざるを得ない会社側の言い分も見てとれ、社会構造そのものの問題であることも想像するに難くない。

さらに、いたって普通に努めてきたであろう子育ての中、長男が反抗期を迎え次々と問題を起こし、その激務の中で息子のために余計な時間をたくさん割かなければいけない。子供たちが幸せになるために、寝食の時間も惜しんで一生懸命働き通すのに、その苦労に報いるどころか次々と恩を仇で返すような長男の行動。その長男を守るために仕事が思うようにいかず評価を落としていく父親。時間が無くなり焦りがでることで、余計にストレスが増し、序盤では女神のように見える優しくてどんな厳しい状況にも耐え忍ぶ母親へ当たり散らす。母親も限界を感じて爆発する。家族間の関係が悪化し、息子とのコミュニケーションがどんどん悪化し、息子は更なる悪行に走る。

反抗期の息子が本当に求めているのは、家族との大切な時間であることは、時折見ることができる家族で過ごす時間から察することができるが(息子が反抗期になったのも親と過ごす時間が無くなっていったからという想像もつく)、その息子のために一生懸命稼ごうとすればするほど、家族で過ごす時間がさらに減り、息子が求めるものと違う方向へ進んでいく。まさに人生の試練の沼は続いていく・・・

しかし、そんな試練の連続でもケン・ローチが見せるポジティブな一面にして、本作の最大のメッセージがある。それが「家族を想うこと」だ。
これだけ厳しいシーンの連続の中で一際光る、家族4人が笑顔に溢れるほんの短い時間の夕食シーン。その夕食時に母が急遽仕事で呼ばれた際、父親のトレーラーで母を職場まで送りにいく時の子どもたちのなんとも楽しく嬉しそうな顔。特に毎日反抗期で荒れ気味の息子が本作の中で唯一といっていいほど本当に楽しそうにしているシーンはとても印象的だ。
また、どれだけ上司に罵倒され仕事の評価が落ちようとも、傍若無人な息子を絶対に見捨てない父と常に息子を責めず理解しようとする母。そして、本当に父が大変な時には誰よりも父を心配する息子。

これらの前向きなシーンは作品全体の中ではほんの一瞬だ。しかし、その家族との繋がりを感じる一瞬が確かにそこに存在するから、本作の父親と母親は日々の困難に立ち向かっていけるのだ。

本作はイギリスを舞台にした作品ではあるが、トラック運転手や介護士の労働環境と待遇という点で考えると、これは日本でも常々言われている問題で、とても遠い他の国の出来事とは思えない。これは非常に根深い問題でやはり本人たちや会社だけでは解決できる問題ではなく、サービスを利用するユーザー側の姿勢の改善、政策、技術革新など社会が一体となって解決していかなければいけない問題だ。そういった意味でも、本作のような映画が少しずつでも労働環境の厳しさや現場の苦しみをより多くの人に発信し続けることで、これらの問題に対する視聴者一人ひとりの意識が高まり、自身が関わる何かしらの部分で協力や改善行動をとる動きが少しでも増えるのだとしたら、本作の持つ意義はとても大きい。
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