とりうさぎ

家族を想うときのとりうさぎのネタバレレビュー・内容・結末

家族を想うとき(2019年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

大学時代から映画をいっしょに観るといえば(あと斉藤和義のライブに行くといえば)この子と、というような友人がいて、その子に誘われて池袋に映画を観に行きました。

わたしは日々映画をチェックするほどマメではないのと、その子が勧めてくれる映画は今までも、ああ、声をかけてくれてありがとう、観てよかったといつも思えるので、その子が「家族を想うとき」が観たいと連絡をくれて、ならそれに行こう、と、その字面だけをみてほかの前情報を一切いれず、ポスターもまともに見ず、ふらふらと劇場の椅子にたどり着きました。

池袋のcinema ROSAという映画館で、チケット売り場の小窓のなかになんだか窮屈そうにスタッフの女性がひとりすわっているようなところ。客席は、ほどよい真ん中の列に座ったけれど、わたしと友人のほかに左右は誰もいない、確かに確認したのは最前列の真ん中におじさまがひとり、わたしたちの後ろにポップコーンを頬張るおじさまがひとりくらい、ほかにもちらほらいたけれど殆ど貸切に近い状態で、なんとなくぼんやりとリラックスした状態で画面を眺めていると、本編がゆるりと始まりました。

(▼ところどころ映画のあらすじやネタバレに触れています)

派手な音楽や展開が待っているわけではなく、淡々と、イギリスのとある4人家族の日常を描いた作品。だのに、約110分ほとんど姿勢を変えることなく没頭して観続け、中盤からはその悲痛さに泣いてしまうのを堪えきれなくなって、その悲痛さが絶頂を迎えるのと同時に唐突にエンドロールが流れる。

え? と思っているうちに劇場に灯りが戻って、スタッフの方の「ありがとうございました〜」の声が響く。しばらくふたりで黙りこくったまま目も合わせられなかった。

描かれている家族、父親が銀行の破綻によって前職を追われ、ほとんど強制労働の配達ドライバーへと転職し、週6日1日14時間働くことになってから、すこしずつすこしずつ、父親のみならず家族の生活が回らなくなっていく。いくら家族のためにと思って働けど限界はある。さぼることもなく必死に働く。家族が路頭に迷わないために。

家族のために働いているのに、家族との時間がとれないがゆえに、娘や息子、妻にも変化がおこる。それこそ大きな事件は起こらないがすこしずつ生活は軋んでゆく。

万引きをした息子に、警察官が「君にはこうやって、駆けつけてくれる親がある。世の中には親もいない子供もいるのだ。」と諭す、場面、そうだ、そうなんだけども、と胸が痛かった。

ここで描かれる家族は、全員がそれぞれの言い分をもってそれぞれに正しくて、みんな節々に平穏な家庭を守りたいと願っている、子供たちも。それがゆえにときどき束の間の団欒が訪れたり、救いがあるのに、だのに、どうしてもどうしても首がまわらなくなっていく。

始まって数分、これはなにかのドキュメンタリーか?と思うのは、BGMはほとんどなく、生活音が際立つからか、家族の顔ぶれも、生活が染み付いた父、母と、とくに目立たない兄と妹、本当にイギリスの家庭を覗いているような気持ちになる。

決して美談に転がることなく唐突に流れるエンドロール、制作側のものすごい強い意志を感じる。

恥ずかしながら、私はケン・ローチ監督のことをほとんど知らず(つぎは、前作の「わたしは、ダニエル・ブレイク」を観ようと思いますが、もうどうしても身構えてしまう)に観ましたが、知っていたら、そのつもりで観ていただろうと思います。

わたし自身こだわりもないし、映画鑑賞にルールはないけれど、今回のような映画は、公開されているあいだに劇場で観るべきなのではないかと思う。決してエンターテインメントでもない、正直楽しくもない、辛いだけ。あるのは制作側の、この作品をとにかく世に出す、という強い意志のみ。

レンタルされるようになって、極端な話、何十年も月日が流れてから観るのでは意味がないように思う。

演劇をやる者として、「いま、あなたに(だれもに)これを観てほしい」という意志はとてもピンとくるし、結局はどんな作品も、その制作側の強い意志をもってどんな形であれ世に出てくるのだろうとおもうけど、

この「家族を想うとき」は、日本にいる私にとっても他人事ではないし(気軽に配達とか頼むもんじゃないな、とも思った。本はできるかぎり本屋に買いにいこうとも思った。極端だけどせめてそこからだ)、いま、劇場で上演されているうちに観るべきだと思った。

友人ありがとう。あんまりにも日々のうのうと平和ボケしてながら生きているわたしには時々、このような時間が必要です。
今回も観に行けてほとほとよかった。

とりうさぎ

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