ゴダールの長編二作目。
スパイ同士の恋の話で、全体的に政治的。モノクロームは前作もそうだったが、今回はノワールっぽくなっていた。スパイ同士の話なので銃や拷問も出てくる。ゴダール映画の銃や拷問は作り物臭すぎるところもあるがご愛敬。水責めのシーンはちょっとリアルだった。ロケ撮影というかゲリラ撮影多めで、パッと撮ったカットもこの映画では映画として仕上がっている。明らかに郊外なのに銃で撃つシーン撮るとか警察沙汰だろうなと逆にヒヤヒヤしてしまう。ラストの尻切れトンボ感はヒッチコックぽい。ゴダール自身がカメオ出演ぽく今作に出ていて、これもまたヒッチコックの影響といえるかもしれない。
今作はアンナ・カリーナの初出演作となっているのでなんとも初々しい姿がみれる。その後の作品のような陽気な姿というよりも静かで落ち着いた雰囲気。映画内でも写真を撮られるというシーンが多いのもあってか、構図にきっちりおさめられている(映画内でも絵画の女性の様だと形容されるように)。それでもやはり、アンナ・カリーナがいるだけで画面は成り立つ。それ故に内容そっちのけでアンナ・カリーナばかり注目されてしまうのが今作でもある。
それも今作がフランスのアルジェリア戦争についての物語であり、時代背景を理解していないとよくわからない所が多いかもしれない。ただ、当時すぐにこの戦争に対する疑問を抱きそれを作品に昇華したゴダールは凄い。故にフランスから上映禁止を言い渡されてしまうが。ただ、政治的主張の強い映画というわけでもないのだ。所謂プロパガンダでもなく、きちんと物語に落としこんでいる。むしろそれを受け入れてなにもしていない当時の観客にむけて、どうもしないのか?と訴えているように思える。
主人公が突然観客側の私達にむかって「誰も本当の私をみることはできない」という。この頃から映画が全くの作り物であるとゴダールは訴えはじめている。彼のその映画に対する姿勢は、映画を感動の装置として使うことを疑問に思わない人間への「なぜ?」が詰まっている。政治にも「なぜ?」そしてアンナ・カリーナにも「なぜ?」。政治、女性、映画を作る行為、観客、そうした物事への疑問符が多数つめこまれたのが今作なのだろう。そしてこの疑問符に対する解答をゴダールは後に作っていくことになるのだ。