抹茶マラカス

チャーリー・セズ / マンソンの女たちの抹茶マラカスのレビュー・感想・評価

3.3
タランティーノの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」補助線として新宿シネマカリテのカリコレにて鑑賞。一応初日に見たので、日本初公開の瞬間に居合わせたことになります。「アメリカン・サイコ」の監督脚本コンビ。

 シャロン・テート殺害事件に留まらず、チャールズ・マンソンがカルト教団をどのように作り上げ、維持していったのかが教団の退廃的・享楽的なムードと共に描かれている。
 ここに描かれるマンソン・ファミリーは非常に排他的で、ドラッグやセックスで思考停止状態に追いやったり、色々な不満に対して現状肯定してあげる、周囲との連絡を絶たせる、機械や書物といった反知性主義的な指示をする、異論のあるものは屁理屈でねじ伏せることで服従させる、非常に原始的な手法で洗脳している。エゴを殺してマンソンの一部となることを望まれた彼女たちは収監後3年経ったのに「said」ではなく「says」と現在形でマンソンの言葉を放ち、あなたはどう思うの?という問いには答えられれない。
 こうした支配の背後にあったのは、とっても幼稚で悪意に満ちたマンソンの意思であり、宗教学や心理学の手法をフル活用しているともいえ、知性の恐ろしさ自体をマンソンが理解していたと思える。
 勉強に放ったのだが、映画としてみると収監されているレスリー、パトリシア、スーザンの3人に対峙する教師の時制と、そこから振り返るレスリーの視点とが交差しており、少し退屈にも感じる。
 また、レスリーを違和感を抱きながら最後にはマンソンの洗脳から目覚める役として描いており、彼女も罪人なのでは?その罪を背負った先が示唆されてたのにそこは描かなくていいの?ということは感じた。実際の事件よりも描写や行動がマイルドにされているのも彼女が悪人に見えない原因だろう。