第3逃亡者

ラ・マルセイエーズの第3逃亡者のレビュー・感想・評価

ラ・マルセイエーズ(1938年製作の映画)
5.0
一つの映画の中にゴダールとベッケルとトリュフォーとストローブユイレが含まれていながら、ゴダールとベッケルとトリュフォーとストローブユイレにない(ないわけではないけど)、活気と陽気と熱狂と合唱と厚かましさと騒々しさと名誉と切なさが詰まっているの最高だルノワール
ボミエが母親とメイドを残して義勇軍の登録をしに家を出ていくシークエンスはまるで付け足したかのように物語進行上独立して際立ってる(路地を駆け抜けていく姿を窓から見送るメイドが最高)
ラマルセイエーズは最初窓の外からオフから聴こえてくるし(人と切り離されている)、出征の際ボミエが歌いだす理由か「みんなが歌ってるから」っていうのも意味思想から切り離されている

宮殿は報せを取り次ぐため、窓は老人が脱走するため、老人が脱走するのは山で若者たちと出会い未来を託すため、川は飛び越えるため、石は投げるため、木と煙は風に揺れるため、帆はたなびくため、樽は人が隠れるため、ベッドは飛び乗って叩き起こすため、ボタンは光るため、命令は馬鹿にするため、旗はたなびくため、マントルピースは寄り掛かるため、石大工が出征を一度断念するのは母親とメイドを残して家を出ていく姿を撮るため、行列はならび直して待ってる間にラマルセイエーズを聞かせるため(巻き込まれ)、窓とカーテンはラマルセイエーズをオフの音にするため、木は人が寝るため、ラマルセイエーズを歌うのはみんなが歌っているから(これも巻き込まれ)、歌詞は間違えるため、お金を届ける約束は果たされない(女を辻馬車で送るために使われる)、窓は人が座るため、森は行列がゆくため、木漏れ日は断続的に人に当たるため、貴族が喧嘩を売るのは四辻で乱闘を始めさせて乱闘の最中に男と女を出会わせるため、溜め池は人が落ちるため、草むらは人が逃げ込むため、雨は乱闘を中断するため、上着は傘にするため、帽子は投げるため、壁は字を書くため、スープは文句を言いながら食べるため、影絵を見に行くのはプロポーズするため、人は道を開けるため、落ち葉は掛け合うため、人が跳び箱に、丸太は門を破るため、説得は聞かないため、裾は引っ張るため、階段は人が転げ落ちるため、銃撃は煙を上げるため、人は撃たれて運ばれるため、トンネルは内と外の空間差をつくり恋人たちのメロドラマを内の空間で包み込むと同時に外で革命が成されるのを聞き届けて死なせるため、井戸はもたれ掛かるため、血は拭われるため、目隠しはしないため(ルノワールは貴族が名誉を守り通す姿をひたすら肯定している)、太鼓が足音の代わりに鳴り響き、行進がカメラの前をひたすら横切っていく