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プライベート・ライアンのnetfilmsのレビュー・感想・評価

プライベート・ライアン(1998年製作の映画)
4.1
 時は1944年。第2次世界大戦の真っ只中、米英連合軍はフランス・ノルマンディのオマハビーチでドイツ軍の未曾有の銃撃を受け、多くの歩兵が命を落としていった。戦禍を切り抜けたミラー大尉(トム・ハンクス)に、軍の最高首脳から「3人の兄を戦争で失った末っ子のジェームズ・ライアン2等兵を探し出し、故郷の母親の元へ帰国させよ」という命令が下る。『1941』では真珠湾攻撃、『太陽の帝国』では日中戦争、『シンドラーのリスト』ではナチスによるユダヤ人大量虐殺を描いてきたスティーヴン・スピルバーグの4本目の第二次世界大戦映画。冒頭のノルマンディー上陸時の描写が凄まじい。激しい敵軍の砲撃により、味方兵士はおびただしい損害を被るのだが、片腕が飛んだり、内臓がえぐれて外に飛び出したり、炎に包まれながら呻き声をあげて死ぬなど、これまでの戦争映画にはないリアルな描写が繰り広げられる。『シンドラーのリスト』でも実に効果的だったヤヌス・カミンスキーのステディ・カムは今作ではそれ以上の効果を上げることに成功している。敵襲が終わり我に返った時の、浜辺に打ち上げられた死体の山と血の色に染まった真っ赤な水面が残酷さを強調する。

「3人の兄を戦争で失った末っ子のジェームズ・ライアン2等兵を探し出し、故郷の母親の元へ帰国させよ」という命令のために、ミラーが集めたのは古参軍曹のホーヴァス(トム・サイズモア)、2等兵のレイベン(エドワード・バーンズ)、カパーゾ(ヴィン・ディーゼル)、メリッシュ(アダム・ゴールドバーグ)、名狙撃手ジャクソン(バリー・ペッパー)、衛生兵のウェード(ジョヴァンニ・リビジ)、ドイツ語が話せる実践経験ゼロのアパム(ジェレミー・デイヴィス)の8名であり、落下傘の誤降下で行方の知れないライアンを敵地の前線へと探しに向かう。そもそもがいつ弾が飛んでくるとも知れない過酷な戦時下において、ライアン2等兵を探すことの手間と労力を考えれば、アメリカ軍の命令自体がナンセンスであるものの、ミラー大尉以下、チームはこのナンセンスな指令を愚直にも守ろうとする。廃墟の町で攻撃を受け、ひとり、ふたりと銃弾に倒れていく中で、なぜライアン1人のために8人が命をかけなければならないのか? とレイベンが怒りを爆発させるシークエンスの熱の入り方は尋常ではない。戦場においては組織においては、守るべき規律こそが絶対である。それが後々振り返った時にどんなにナンセンスなことであっても、彼らはそれを任務として命を張らなければならない。ミラーがライアンを探し出し妻の元へ帰ることが自分の任務だと淡々と語り、離れかけていた皆の心を一つにまとめあげる場面が素晴らしい。高校教師をしていたという自分の身の上話から、その場を静かになごませようとするミラー大尉の話が胸を打つ。

何度かの空振りを経て、ようやくライアンの居所を掴んだミラー大尉とチームは、前線へ進むうちに空挺部隊に救われるが、その中にライアン2等兵を発見する。兄たちの死亡と帰国命令を知ったライアンは、戦友を残して自分だけ帰国することはできないときっぱりと言い放つ。ここで即座に帰るというような人物なら、スピルバーグは映画化しなかっただろうが、彼の愛国心に迫られた言葉がまた憎い。ミラー大尉は究極の選択を迫られるが、相談したホーヴァスの言葉に、玉砕覚悟でドイツ軍と一線を交えることを選ぶ。これまでバラバラだったチームがライアンとの出会いを経て、ようやく一つに纏まったところで、ドイツ軍の侵攻を今か今かと待ち構えることになる。ここでの戦闘の一瞬の緩和状態でのミラー大尉とジェームズ・ライアン2等兵の会話のやりとりは、同監督の『ジョーズ』におけるクイントとフーパーのやりとりを想起させる。兄弟の顔を思い浮かべることが出来ないというライアンの言葉に、その場所の匂いとか空気を必死で思い出せと言ったところで、マット・デイモンは思い出したように昔の記憶をミラー大尉に向けて語り始める。戦時下で馬鹿話に興じるライアンに半ば呆れながらも、ミラー大尉は彼の思いを汲み取り、受け止める。しかし無情にもドイツ軍の侵攻は始まり、つかの間の休息は呆気なく終わるのだった。

ラストの市街戦はよく練りに練られているものの、導入部分のノルマンディ上陸部分の音と映像によるあまりにも鮮烈なインパクトを知っているだけにどこか物足りない印象も残る。結果的にはミラー大尉の人選ミスが、つまるところ彼の命をも奪うことになる。スピルバーグは彼ら一人一人の軍人としての誇りを過不足なく描く。この肝心な場面で、臆病風を吹かす者や裏切り者の登場が予定された戦況を予想だにしない方向へと導く。壁の影にいるのはアバムなのか?それとも敵軍兵士なのか?その区別がつかない場面の一瞬の気の迷いが戦場では致命的となる。ラストのミラー大尉の捨て鉢な描写はやや短絡的すぎる気もするが、弾切れから短銃に持ち替えた彼が、戦車と対峙する場面の無謀さが容赦ないリアリズムとしてそこにある。あと一瞬仲間の助けが早ければ、彼らの運命は違っていたかもしれない。ラストシーンにライアンと母親の再会を持ってくるのではなく、あえてライアンとミラー大尉との再会を持って来たスピルバーグの判断は圧倒的に正しい。大尉の死の重みと、その後生き永らえ子孫を残した生の尊厳の重みが同時に伝わり、何度観ても溢れる涙を抑えることが出来ない。90年代アメリカ映画の傑作中の傑作である。
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