千種

犬王の千種のネタバレレビュー・内容・結末

犬王(2021年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます


琵琶の小気味よい音がビィンと鳴ると、ズズイと身を乗り出して今か今かと耳を澄ませてしまうのは、果たして日ノ本に産まれた者の性だろうか。
劇場アニメーション作品『犬王』は、『四畳半神話大系』『夜は短し歩けよ乙女』で言わずと知れた湯浅監督による作品。『平家物語 犬王の巻』を元に実在した能楽師・犬王の凄絶な半生を語る。歴史の謎に包まれ葬られた犬王の作品は、今日に至るまで一つたりとも残されていないという。想像膨らむミステリアスな存在に光を当てた今作はまさに、表現者たちの生き様を描かんとする壮大な絵巻物だ。

あべこべの手足に崩れた顔、毛むくじゃらの胸に鱗の生えた背中。『犬』の歪んだフォントは犬王が自らの歪な体を模して描いた作品だ。誰もが恐れ慄く異形として産まれた犬王は、それでいて心から舞を愛していた。ある日出会ったのは盲目の青年・友魚。見えない友魚が姿かたちを恐れる筈もなく、琵琶をせがまれれば弾いてやった。それはあらゆる彼を取り巻く音。
「イイじゃん!」
「当然!」
友魚の琵琶に合わせて、犬王はのびのびと跳び舞い踊る。いつしか二人は肉体を出て、魂で共鳴し合う。ついに彼らは互いに唯一無二の表現者たる友を得たのであった。

犬王役に女王蜂のアヴちゃん、友魚役に森山未來さん。犬王の掴み所のない天性のピュアな魅力はアヴちゃんの果てしない歌声と才能あってこそ、といった感じ。

犬王の望みは生家の看板役者として能舞台に立つこと。そのためには失われた体を取り戻す必要がある。後になってこの異形が父親の業のためだと知るのだが、こう来ると手塚治虫大先生の名作『どろろ』を彷彿とせずにはいられない。そして『犬王』もまた父を超える物語であるわけだが、暴力や人智を超える力でなく、芸事を極めることで成し遂げるというのがとても良かった。

今作では、犬王の父が主人公格の二人と対局の存在として印象的に描かれている。能楽師である犬王の父は芸を極めることに明け暮れ、嘆き、気が触れ、遂には我が子と引き換えに芸を得る。終いには人の道を外れたこの男も、始まりは芸に対するひたむきな思いだった筈だ。そこに芸術を生業とするものの、狂気と危うさを見る。歴史を見ても、他者からの評価に取り憑かれて狂気に飲み込まれていった芸術家は枚挙にいとまが無い。己を深く覗き込む時、誰しも狂気の一端を見るのかもしれない。

ふと、泥の底から空気がごぽりと噴き出す。梅の枝が裁ち鋏でばちんと寸断される。言いようのない不安を醸す情景描写がかなり良くて、しかも全編草木が滲むような和色彩で描かれる画面作りが好みだったことも記しておく。『モノノ怪』の絵様が大好物の私のような人間には特に勧めたい。

ところで今回Amazonプライムでの字幕付き視聴で、良かった事をメモしておく。単語が当時の雰囲気を損なわないために現代語訳されておらず、その場で一時停止して調べられるのは便利だった。調べたのは「ひた面(直面)」=「能において素顔の状態」や「薩摩守」=「平忠度の役職」など。字幕に救われる場面も多かった。映画館では「今の、どういう意味だろう?」と考えている間に話が進んでしまって分からなくなる事も往々にして有るので、今作は特に自分のペースで視聴できたのは大きかった。

最後に、大きな声では言えないが犬王が面(オモテ)──余談だが面は付ける、被る、でなくかけるという動詞で表すことを知った──を外して素顔があらわになった瞬間、元の顔が良かったなと思ってしまったことを懺悔したい。『美女と野獣』でも活発な論点だが、開けっぴろげにされるよりは秘されたものに魅力を感じてしまうのは何故なのだろう。「秘すれば花」とは、奇しくも作中で犬王と覇権を争った藤若、後の世阿弥の言である。

2023.8.21追記:この映画の妙な爽やかさはどこから来るのかと思ったが、繰り返し視聴して、二人の主人公が決して自分の生い立ちを嘆かない事に気付いた。
喪ったものでなく掴み取ったものを握り締めてスター街道を駆け上がる若者二人のエネルギーが、熱く訴えかける。
これを青春と呼ばずになんと呼ぼう。何度も観たい映画となった。
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