のすけ

生きるののすけのレビュー・感想・評価

生きる(1952年製作の映画)
4.5
レントゲン写真とナレーションから始まる。どうやら主人公は胃がんに侵されているらしい。

場面は市役所の市民課に移る。
そこで主人公の渡邊課長が次から次に書類にハンコを押している。そして、数人の市民がインフラについて対処して欲しいとお願いしにくるが、即座に土木課に行くように指示する。
(この似たシーンが最後にも出てくる)

でナレーション。
渡邊課長が主人公であると明言して、
彼はまだ生きた時間を過ごしていないから実質的には生きていないという。
(この映画見て思ったけど、個人的に映画での心の中の声は許してないけど、ナレーションはオッケー)

で、さっきの市民たちの視点になる
市民たちは土木課に行くけど、そこからタライ回しにされる。ここもおもろい。
いろんな部署の奴らが出てきて、いろいろ言い訳して違う部署に行けって言う。

渡邊は病院にいた。
そこである男から胃がんの症状について聞き、胃がんだと医者から軽い胃潰瘍と言われることを聞かされる。
ここでの主人公演じる志村の演技最高。
何も言わんけど胃がんの症状もろはまりなんやろうなってことがわかる。

家に帰るけど息子夫婦の自分に対する愚痴を聞いてしまう
ただでさえ落ちてるのに追い打ちかけられる

自分の部屋で過去を振り返る
今までの人生
息子のために黙って働いてきたんだと思って、息子と話したくなるが
さっきの愚痴聞いちゃったのもあって息子のとこには行けない
1人で泣くしかない。
ここで無情にも25年間欠勤なしの賞状がドアップで画面に映される
ここ好きな演出

主人公は1人で居酒屋で呑んでいた
そこで小説家と出会う
主人公は遊ばず真面目に働いてきて貯めたお金の使い方がわからないという
小説家は同情して、主人公を夜の遊びに連れ出す
この時小説家は
「不幸は人間に真理を教える。不幸には立派な一面がある。」って何気なく言ってたけど、この映画のテーマの芯をついてるような気がする

いっぱい遊ぶけど、でも最後にとてつもない吐き気がしたりして、結局救われてるとは言えない感じ

家に帰ってる途中に役所の市民課の小田切っていう若い女と会う
小田切は辞めようとしていて、辞表にサインしてもらうために主人公を探していた

小田切は主人公と真反対な人で
生き生きとしてて、役所の仕事は安定してるけど面白みがないから若いのに辞めようとしている

主人公は小田切の振る舞いに魅了されて、小田切を連れていろんなところに遊びに行く

主人公は小田切に心境を打ち明ける
自分が今のようなつまらない人間になったのは息子のため
息子を何不自由なく育てるために自我を捨てて真面目に働いてきたのだと
でも、息子は自分のことを思いやってるようなそぶりは一切見せない。
でも、ここで小田切はキッパリ
言い訳してはいけない。息子はそうしてくれって頼んだわけじゃないって言う

それにハッとさせられた主人公は息子と向き合うことにする
家に帰って息子と向かい合い話をしようとするが、息子は主人公が若い女に騙されてお金を使い込んでると思っていて、自分たち夫婦のためにもっと賢くお金を使ってくれなどと、責める

主人公はショックを受けて、話をするのをやめる

また小田切のとこに行くが、小田切は誘いを断る
遊ぶよりも働きたいと
けど、あまりにも主人公が惨めだから最後に一回と言って付き合う

若者が騒がしいカフェで小田切と主人公は2人でいる
そこで、主人公はモジモジして小田切が帰ろうとしたら引き留める
そこで小田切は主人公に何か作ったら?と提案する
小田切は新しい職場である工場で子供向けのおもちゃを作っていた。
そこで、主人公は映画の最初に市民たちが相談に来ていた事を思い出し、公園を作ることを決意する
そこで意を決してカフェを出ようとする時、若者たちの集団が店に入ってくる誕生日の子にハッピーバースデイトゥーユーを歌う
この時、誕生日の子は画面外から入ってくるのだけど、主人公が若者たちに誕生日の歌を歌われているような構図になる
これが1番好きな演出
主人公はこの瞬間生き始めたんだろうなってことが分かる
しかも、映画の最初ではナレーションでこの男はまだ生きているとは言えない とか言ってたのに生き始めた瞬間については言葉じゃなくて、ちゃんと演出で魅せてくるのが好き

次の日久々に出勤して、早速公園建設に取り掛かる

そして、まさかの次のカットでは
主人公の葬式のシーン
葬式に参列した人たちの会話から公園建設は間に合ったらしい
そして、彼らの回想という形で公園建設までの主人公の努力が映される

なぜ主人公の公園建設の道のりを葬式のシーンを通してやったのか。
これは多分、主人公が自分の人生を生き始めて公園建設に取り掛かってからは主人公に迷いはない。ただまっすぐ突き進むのみ。
これは言い換えれば主人公に葛藤がなくなったことになるから、
物語の進め方に変化を入れたんだと思う

市民課の人たちはみんなで主人公の功績を振り返り、役所でもやろうとしたら立派な仕事を成し遂げられる。だから、頑張ろって意気込む。

けど、時間がたった役所の市民課で
最初のシーンみたいに市民たちが似たようなことで相談にくるけど、最初のシーンと同じように受け合うことなく「土木課」に回す

ここで唯一、市民課の木村だけはみんな全然変わってないやんけって立ちあがろうとするけど周りの圧力でそこまでは言えない

木村はやるせない気持ちになって、主人公が尽力した公園に向かうと、公園では多くの子どもたちが幸せそうに遊んでいた

主人公の残したものはしっかりと社会、子供達のために役に立ってる

でも、黒澤監督の皮肉は
結局人間はなかなか変われない
あれだけ、変わろうとか意気込んでた市民課の人たちは何事もなかったかのように役所仕事を淡々とこなしてるだけで、変わってない

皮肉と希望が込められた良い映画
のすけ

のすけ