2度目の鑑賞。1時間映画のプロットを書いているのでノーランのデビュー作を参考に。
暗い画面と音楽、シニカルな男性とファムファタールにまつわる罪の物語など、完全に「フィルムノワール」の系譜だけど、
自由自在な時系列でハンディカメラだけで軽快に撮られていて、ヌーヴェルヴァーグ(というかタランティーノ)の影響も感じる。こういうギミックって、やっぱりゴダールが先駆者なんだろうか。ヒッチコックも近いけど。
「作家志望の男が、創作のヒントのための人間観察として始めた尾行がやめられなくなり、ついに気づかれた相手が窃盗犯。しかも彼も金銭ではなく私生活を覗くことを目的とする快楽犯で...」という物語。
時系列操作のギミックとか、終盤に仕掛けられた罠とオチとかを抜きにしても面白い設定で、モチベーションのユニークさって大事だなぁと感じた。感情や人間に興味がある人物という共通点で二人の男をつないでいる。
インタビューで「スタッフ全員が定職を持っていたので、毎週土曜日にしか撮影できず1年がかかった。少ない予算で何であれば撮れるかを考えて、制限の中で生まれた映画だ」ということを言っていたけど、たしかにカフェ・屋上・バー・街中がほとんどだし、低予算を味方にするには強いアイデアが必要だなと改めて思った。
監督がフィルムノワールが好きなのは「心情ではなく行動を描いているから」ということだったけど、たしかに展開がすごくスピーディで、ゆっくり悩んだり話したりする時間がほとんどない。低予算系だとロメールやカサヴェテスを想起するけど、ああいうオフビートな会話劇とは対極にあるようにも思う。
冒頭もモノローグではなく、尋問の受け答えをバックに映像が進んでいくのとか工夫がされていて、近年だと『カウンセラー』とかはこの流派にあるように思う。
「結局すべては仕掛けられていて...」というどんでん返しは、学生の頃とか大好きだったんだけど、今みるとそこまでワクワクを覚えなくて、好みが変わったことを感じた。
むしろストーリーにおける裏切りが映画の真ん中にあると、物語がそれで閉じてしまうというか、せっかくの興味深いテーマに対する余韻とかが消えてしまったような印象もあって、難しい選択だなと思った。各国の映画祭を総なめしているように、当時はかなり斬新だったんだと思う。
複数の時系列を描く場合って身体的特徴をはっきりさせるのがすごく大事で、この作品も
①長髪期 ②短髪期 ③怪我期 でわかりやすく描き分けているので、リニアじゃなくてもしっかり時期が判断できるのが上手い。
DVDだと「クロノジカル・シークエンス」(時系列順に並べ直した版)が収録されているけど、なるほどここはこっちより先なのか、みたいな考察をするためにもう一度見直すのも面白いと思った。『パルプフィクション』などと同様。
実は連続性をなくすのは、低予算で撮り切ることにに対しても効果的で、つながってないけどな...?みたいな違和感を消すことができるということも言っていた。
ファーストカットから小道具のドアップだけど、小道具の使い方も上手で、口に詰められた手袋、侵入先の写真、偽名のクレジットカードなど、時系列を判断させる役割と、ミステリーとしての伏線の役割、両方に機能している。これはビリーワイルダーとかの影響が大きそう。
基本的にこのミステリーは、「真の人物関係」が伏せられていることによって成立していて、電話の裏にあの人がいるという驚きが1つ目、その人が殺されて罪を被せられるのが2つ目で、人物関係が明かされる驚きというのが最大のミステリーになっている。
狡猾で他人をすぐに見抜けるのに、身近な人間すらも信頼せずに裏切るコッブは、すごく描き甲斐のある人物で、もし2時間だったら彼についてもっと掘り下げて描いて欲しかったと思う。「盗まれることで初めて気づくんだ」とか言ってるし、きっと『CURE』のような読後感になるような気がする。
主人公も、受け身・孤独な作家志望の男って、一番自分が好きになりやすい映画の主人公なので、映画まだあまり観ていなかった頃にも本能的に自分の好み把握できていたんだなぁと思う。あと主演の方が『TENET』にも出演していて熱い。
実は次作の『メメント』の執筆制作は今作よりも前に始まっているみたいで、兄弟で文通を続けて改訂版を送り合ったのちに、ノーランの彼女であり後の奥さんであるエマ・トーマス(プロデューサー)が映画会社の重役に脚本を見せて予算が下りたという流れらしい。こんな一家ある??
2017.10.10 1回目
面白い…しっかり騙された。デビュー作からノーラン色全開で、モノクロの必然性も感じるし時間軸操作も気持ちいい!ヒッチコックへの尊敬が伝わった。
お金なくてもアイデアが良ければ面白いものが作れるんだっていう刺激をくれる。にしても$6000って凄いな。。