クシーくん

巴里の屋根の下のクシーくんのレビュー・感想・評価

巴里の屋根の下(1930年製作の映画)
3.7
監督のサイレントからトーキーに移行した第一作目らしい。やたらとちょこまか動く辺りはサイレント映画の動きそのままで、台詞もあくまでも筋運びのために必要最低限にとどめている。
トーキーという新技術に喜び勇んで新たなアイディアを試みた試行錯誤の痕跡を随所に見る、というような作品ではなく、単なる拒否反応にしか見えない部分も少なくない。ガラス戸越し、電車の騒音などで登場人物の台詞を遮ってしまう手法は、サイレント映画から脱することが出来なかったというよりも寧ろ監督の昔気質的な矜持を感じた。
従来の映画作法に比重を置きつつ、新たな試みを敢行したといった風だが、やや冗長の感は否めない。

パリの街並みを模した箱庭的なセットは実に素晴らしい。ウィキペディアによると建物を僅かに傾斜させることによる現実・非現実のバランスが微妙なリアリズムを云々とあったが、端的に、狭い空間の中で俯瞰したパリをうまく表現している。現在のパリでは景観上、洗濯物を干すことが出来ないらしいが作中ではお構いなしに所狭しと干し、一様にくすんだ建物の窓から顔を覗かせアルベールの歌声に耳を傾ける。実に美しい構図だ。

肝心の筋は取るに足らない恋愛遊戯で、ごくあっさりしている。移り気なポーラに振り回される男たちの右往左往を描いたコント。
軽やかなアコーディオンによるバル・ミュゼット風の音楽に乗せてパリに生きる人々の浮き沈みと風俗を描いた娯楽作品として当時の人々は観たのだろうし、今となっては往時を偲ぶ記念碑的な作品として観るほかない。

ポーラのような女と一緒になっても誰一人幸せにはなれそうもないのは明白だが、例えば「人間の絆」のミルドレッドのような極端な悪女でもないのでただ状況に流されるだらしない女にしか見えず、さほど魅力を感じない。ファム・ファタールというほどでもないのでやや中途半端だ。
それよりはアルベールの色気欲気もあるが底抜けのお人好しという人物像の方が哀愁を感じて好ましい。恋が過ぎ去っても巴里の屋根の下、歌は流れるプロローグとエピローグを同一にするのも小洒落てて良し。
しかし1フランで楽譜を売ってその日暮らしの音楽家とはなんと気楽な生き方だろう。

「パリの~」という曲は多いがとりわけ有名なのは「空の下」とこの屋根の下だろう。後にモーリス・シュヴァリエが持ち歌にしてヒットさせた名曲で、なるほど一度聴くとなかなか耳を離れない。歌詞にもあるように春爛漫、まこと能天気な調子の歌で私は好きだ。
クシーくん

クシーくん