巴里の屋根の下の作品情報・感想・評価

巴里の屋根の下1930年製作の映画)

SOUS LES TOITS DE PARIS

製作国:

上映時間:75分

ジャンル:

3.6

「巴里の屋根の下」に投稿された感想・評価

三畳

三畳の感想・評価

3.5
扉の中と外で音量が変わったり、あえて台詞を聞こえなくしたり、汽車の音で緊迫感出したりと面白い!

女は数週間後には新たな別の男に行ってると思う。
キャメラの自由な出入りによって音が隔たれる それによって生まれる豊かさ
例の歌がやけに頭に残る。恋の駆け引きが落とす影、めいめいが美しい。
yayuyo

yayuyoの感想・評価

3.5
フランスの巨匠、ルネ・クレールの作品。
トーキー黎明期の作品の1つです。
台詞や歌が入っていると思いきや、
ジェスチャーのみで状況を表現する箇所もあり、トーキーとサイレントがミックスされた様な作り。
ネズミが食べるバゲットの減り具合で時間経過を知らせたり
大事な所で台詞が消されBGMが流されるなど
色々と想像をかきたてられます。
主題歌も素晴らしい。
同じ歌なのに、冒頭とラストでは印象が全く違っていて。
当時はトーキーならではの表現方法だったのかな。

2人の男と1人の女。
そうくれば容易に展開は予想できるのに、どうしてこんなに胸を締め付けるのでしょう。

切なく哀愁漂うストーリーは
何処と無く30年代のフランス映画、ジャン・ギャバン主演の『望郷』などを思わせ(私の中で、望郷のラストは他のどの映画も未だ超えられていない)
鑑賞後には印象深い余韻を残してくれます。
Naoki

Naokiの感想・評価

3.2
1930年代、有声映画(トーキー)登場期の作品。軽やかな音楽をバックにしたサイレント部分も残しながら、物語を台詞で紡いでいく方法を構築していった過程が見える。

お話自体はしょうもないが、冒頭のクレーンを使ったパリの街での歌唱シーンは素晴らしい。耳に残る歌。
主題歌とオープニングの撮影が素晴らしい。ナンパする前にサイコロで勝負するのが印象的だった。セットが本当のパリの街みたいだった。パリの街行ったこともちゃんと見たこともないけど笑
二兵

二兵の感想・評価

4.0
フランス映画初?のトーキー映画として知られる作品。その後に続く、いわゆる詩的リアリスムの源泉ともなった映画でもある。

冒頭、パリの街並みを空から映し、徐々にカメラを下降させ、そこに生活する人々を映し出すロングカットが印象的。

更にそこから主人公らと観衆によるシャンソン歌唱が始まり、これが何とも言えず素晴らしいので、観ていてグッと引き込まれる。

音響設計も考えられていて、カメラが上から下に下がっていくにつれて、最初は小さかった人々の声が、少しずつ大きくなっていくという、なんとも臨場感のあるものに仕上がっている。

世界初のトーキー映画である『ジャズ・シンガー』もそうだったように『歌』から入るのは、当時の人々にとっては、かなり刺激的であっただろう…。

完全なトーキーというわけではなく、ジェスチャーやオーバーリアクションによるサイレント時代の演技・演出も未だ多分に含まれており、サイレントからトーキーへの過渡期の作品として観ると、なかなか興味深い。

ストーリーの方は恋愛+悲喜劇といった感じで、ドラマを見るというよりも、リアルだけれど、どこか現実離れした、この見事なパリの街並みのセット(実景は一つも出てこない。凄い)と、シャンソン歌唱を楽しむべき作品だろう。
Yoshiyuki

Yoshiyukiの感想・評価

3.2
サウンド映画(特に会話)に対して懐疑的な意見持つルネ・クレールらしく、セリフは最小限に、音の活用はあくまで芸術的な表現としてというのがよく伝わって来た。

物語性は、だいぶ低い。やっぱり、芸術性重視の作品なのだろうか?
エッフェル塔とかセーヌ川とか、パリの代名詞的な風景が出てこないから、言われないとパリだと気づかないかも
でもセットは結構リアルで凝っていた気がする。
サイレントとトーキーの過渡期に作られた映画だそうな。
今観るとかえって新鮮だった。
KY

KYの感想・評価

3.7
ルネ・クレール監督作。

パリの下町情緒を叙情的に描き出した詩的レアリスム出発作。パリの街頭で楽譜を売る青年・アルベールは、ルーマニア出身の美女・ポーラと出会い、ひと目惚れする。ある日、ひょんなことから部屋を締め出された彼女が居候することになり…。

・・・

サイレント映画からトーキー映画への移行期ゆえか、台詞がある箇所とジェスチャーで見せる箇所が半々。その中でトーキー映画だからこそ表現できる『歌』に比重を置いた作りなのが面白かった。

人は人生経験と重ねて歌詞に感情移入するが、ストーリーを通過することで観客は自身のことではなくとも歌詞に感情移入してしまう。冒頭とラストが同じ『歌を歌う』というシーン。観客は最初は特に感情を抱かず聴くが、同じ歌をラストでは切なく受け止める事になる。

今でこそ歌詞の力で感情移入させる手法は批判されがちだが、トーキー映画が始まった当初は『映画だから出来ること』だったのだろう。登場人物にアコーディオン演奏者が入ってて時折演奏が映るのも良い。

演出も意欲的で建物の4階→3階→2階→1階と移動させるカメラワークだったり、窓の隙間から人間を撮る様な構図だったり今でこそ凡庸だが興味深い。オチはやはり詩的レアリスムの源流だけあって切ない。
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