このレビューはネタバレを含みます
当時から話題だったシン・ウルトラマン。
見よう見ようと思っていたけど、そんなうちにアマプラに登録されたので視聴。
なんて言っていいか分かんないけど、「お寿司食べたいね」って出てきたのがカルフォルニアロールだったって気持ちになった。ああ〜うん、そっかあ、みたいな。
以下感想
・カメラワークが凝りすぎ
「不自由を(1カメ)強いて(2カメ)すまない(3カメ)」で特に思ったんだけど、このキレキレのカメラワークなんなのだろう。嫌いじゃないけど、多用が目立つのでガチャガチャしてうるさい。
けど、メフィラスが浅見の巨大化画像をネットから削除するシーン、足元だけを大写しすることで擬似的に巨大化したかのような錯覚を起こさせたり、悪くないなってところもあるんだよな。
・セリフの情報量
アメリカンジョークっぽい小気味良い言い回しをさせたいのかもしれないというのは伝わったんだけど、非日常に日常っぽい会話を溶け込ませるのが下手なんじゃないかなと思った。
あと演技良かったとは思うんだけど、早口すぎて聞き取れないことも。緊迫感あるシーンなら分かるんだけどな。
・キャラクターがなんかちがう
バリキャリの女が新しく配属!公安出身だしみんなの情報も丸わかり!シゴデキ!という役どころは分かったんだけど、なんでウルトラマンって黙ってたのビンタはちょっと…。溌剌とした理知的な女は好きだけど立場的にも感情的なのはどうなのかなあ。
…と、いろいろ挙げながら気づいたんだけど、なんでこんなしっくりこないって、本能的な違和感みたいなものが思考から離れてくれないから、なのかも。
総天然色の映像でやればカッコいいはずのキレキレのカメラワークを実写で。
ギャグのつもりなのかわからないやりとりを真剣に。最新の映像で描く古典的なストーリー、「ウルトラマンを現代でリメイクする」という挑戦。
いざという時頼りになる快活な女性像とオタク気質ですぐへこたれる草食系男子。
フィギュアを使った空飛ぶ演出と美麗なCG。ウルトラマンとセフィラスのデザイン。「昔と今」の対比。
その「昔と今」のキメラ感が、脳裏から離れてくれないんだわ。
なんか、浮世絵とか版画とかを3DCGでやられちゃったみたいな。ウーンそのときその技術その歴史にアガるのであって、見たいのはそれじゃないかも〜!って気持ち、みたいな。
でも、神永がウルトラマンになったのではなく、ウルトラマンの意志が神永のかたちになったというストーリー、なるほど、面白い視点だなと思った。
速読して大量の本を読んでたのはそういうことかと納得したり。
そういえば序盤、林の間からウルトラマンがこちらを見たあと、神永のカットが入らないのはなんでだろうと思ったんだった。
だってよくある演出として、あるじゃん。未知のものと遭遇して目があって、なんやかんやのやりとりがあって、俺が世界を救うだって!?ってなるやつ。
「見初められ」て、戦いの予感をガンガンに感じさせられる、変身モノによくあるシーン。
そういうのが無いのはなんでだろうって思ってた。ある意味セオリーなのにって。
ああ、あの時もう神永は既に亡くなっていて、ウルトラマンはその姿に愛を覚えたのね。
あー、そうか。
これはよくある戦隊モノの、「変身」について2時間弱かけてやったんだなあ。
「人間からウルトラマンに」ではなく「ウルトラマンが人間に」。
ただ受け入れるのではなく、戦闘をメインにするのではなく、葛藤という側面から見た「変身」をこれだけ丁寧に。
微妙な気持ちで口に運んだカルフォルニアロール、案外美味しかったねみたいな、そんな映画でした。
追記:余談。
初代プリキュアにおける最初の変身シーンには、確か、変身用の呪文を叫んだ後に、「えっ私は一体何を叫んでいるの!?」と我に返るシーンがある。
実は昔からこれがものすごくお気に入り。
というのも、仮面ライダー然り戦隊モノ然り、「『変身』を受け入れすぎじゃない?」と子供心に違和感を覚えていた、捻くれ者だったので。
だって、自分が謎の生命体に唆されて強靭的な肉体を手に入れたり、謎の呪文を叫ぶようになったりするんだよ?怖くない?
だからはじめてプリキュアを見た時、理解ってもらえた気がして嬉しさが込み上げたのを記憶している。
シン・ウルトラマンは、その葛藤に焦点を当てたのだと思う。捻くれ者の疑問に寄り添ってくれていると、分かってもらえた気がした。