イトウモ

1917 命をかけた伝令のイトウモのレビュー・感想・評価

1917 命をかけた伝令(2019年製作の映画)
2.0
面白くなかった

全編ワンショットというのだけが謳い文句で、画面の中でどのように観客の視点を誘導するかという設計がまったくなっていない。見せ場はたくさんあるが、最初から最後まで観客の視線を一本の糸のように途切れなく誘導する、そういうワンショットであればクリアされるべき課題がされていない。
ヒッチコックの『ロープ』と見比べれば、その演出の荒さは一目瞭然である。開始四分ほどで、集中の糸が切れてしまった。

このように観客の視線を途切れなく誘導する演出のあり方、ミザンセーヌの設計という考え方自体がとても映画的であることは承知の上だ。この映画にその映画的価値を要求することがどれだけ妥当か。
ゲーム画面とスマホの普及で、ぼんやりとだらだらワンショットが続くような映画はここ十年ほどで急激に増えたし、
サム・メンデスという映画監督というよりも、舞台の演出家が、演劇のVR観劇のようなものを想定してこの「ゲーム画面的ワンショット」映画を撮っただろうことも想像できる。
現代は、「映画的な映画」こそ古く、この「VR演劇的」「ゲーム的」映画こそリアルで新しいということのほうが妥当だとも言えよう。

ただ、正直そういう実験をこの十年、一通りやって、結果としてはかなり退屈な作品を量産する結果しか生まなかったのではないか。このゲーム画面的映画のリアリズムは、技術と新規さがもたらす瞬間的な効果しかなく、なにより物語と相性が悪いことが明らかになったのではないか。本作は、さすがメンデスが舞台演出家であるといった感じで、人が増えてきて会話シーンになると面白く、アクションが始まると途端に散漫で退屈になる。

カメラの役割は、伝令が二人になったところで、もう一人の伝令がカメラの視線として、幽霊となって残されたものを見届けるところにある。コンセプトは決まっていても、演出はつまらない。

<最後にロジャー・ディーキンスについて>
よくシルエットの作家として紹介される、ロジャーディーキンスは、本作で塹壕の地下での爆破シーンの「砂塵」、墜落する飛行機、廃屋から眺める夜戦と大変素晴らしいシーンでその力能を遺憾なく発揮している。

彼は光と陰の作家である。そして写真ではなくやはり映画の作家だ。彼は影と光をまるで建築物であるかのように撮ることにこそ長けている。それは静止画の魅力ではない。ゆらめく光と陰でできた、視覚の中にしか存在しない、見えるけど触れない建物を撮る作家なのだ。だから、彼の撮影した光と陰は、映像の中で現れたり消えたりする、その時間の中にあることに意味がある。

廃屋の向こうにより大きな聖堂があるかのように、戦火が燃え上がる時、そこには炎でできた家があり、飛行機が燃えるとき、飛行機という一つの機構が、炎の光でできたもう一つの機構に包まれる。今しか存在しない、動く建物を撮るのがロジャーディーキンスという作家だ。