「オッペンハイマー」とは誰なのか。
一見複雑そうだが、シンプルにそういう演出・作劇に感じられた。
ハーバードの物理学徒だった青年が、政府の一大事業となった原爆の開発に従事し、ロスアラモスの荒野に建設さ>>続きを読む
おもしろかった
『わたしたちの家』が『セリーヌとジュリー』だとすれば、今回は『北の橋』。SF的な実験的、トリッキーさは退いて、ニュータウンの街をうろうろする複数の経路を描く。
①徒歩、自転車、自動車>>続きを読む
唯一、堕胎シーンで手術室から走って逃げ出すところだけ良かった
ハイブランドの広告のようなテカテカした映像でひたすらセクハラを見せられることのなにが面白いのだろう
社会派としても芸術としても娯楽とし>>続きを読む
シャルル・プリニエ『偽旅券』というのが、スターリン政権化のモスクワでの裁判を題材に据えた、革命活動に従事しながらそれに挫折していく女性たちの群像描く連作短編集(?)らしい。
ここで革命に挫折して戦争に>>続きを読む
S・B・コーエンみたいなネタものを期待したが、むしろウディ・アレンやバームバックみたいな知的なユーモアと裕福なインテリの私生活ものでほっこりした。
監督が『マスター・オブ・ゼロ』などでキャリアを積んだ>>続きを読む
長いわりに説教くさくてお行儀のいい終わり方をするあたり、非常に退屈だった。
実質のところアンチ・ミステリーと言っていい映画だと思う。
もっと単純に法廷劇でいいのかもしれないけれど。
謎が解かれること>>続きを読む
おもしろかった。
基本的には光(あと音と風)に一番興味のある作家だという印象を持った。
終電を逃したご婦人が、今にも閉店しそうな店、店を経由して家に帰る。
人工光であることよりも、光と闇のコントラ>>続きを読む
『チェンソーマン』に似てると思ったのは、
・母と息子の支配の物語である
・一見残虐なホラー演出が過剰さのせいでギャグになっている
・世界が主人公に過干渉であるせいで世界観が崩壊している
点で、
特>>続きを読む
チャーリー・カウフマン目的で鑑賞。
概念をキャラクター化した途端、急に教育的なトーンになるCGアニメーションというのが非常にピート・ドクターっぽい。
キャラクター、設定、造形の既視感でそのままべたっ>>続きを読む
ビクトル・エリセにしては、ひどく退屈でがっかりした。
20年前、映画の撮影中に失踪した親友の俳優を探す映画監督。その探訪がいつしか共通の友人を見舞うせいで、自分探しの物語になる様はペソアに影響を受け>>続きを読む
面白かった。
魚眼レンズ、下からの構図、鈍臭い左右のパン。カメラのセンスが壊滅的に悪いが、タメや余韻がないのでスラスラみれる。脚本があいかわらずかなり良い。
フランケンシュタイン話。
それで、これは>>続きを読む
白黒の過去編では、舞台の上のシーンがやたら多く、ゲイを観客に実質カミングアウトしたあとのカラーの現代編では家の中のシーンが多い。
共通して顔ではなく、間取りを長々と撮っている。
表舞台に立つ彼は同性愛>>続きを読む
『ひかりの歌』から『春原さんのうた』にかけて一気に抽象度が上がり、プロット的なものの役割が一気になくなった。
今作でも、若い女、春にストーカーされていると気づいた中年男、剛が「どうして自分なんですか」>>続きを読む
思い出したのが、もちろんバーバラ・ローデンの『ワンダ』と、意外とウルマーの『恐怖のまわり道』。退屈というものに対する恐怖がよく描かれている。逆立ちも、拳銃を拾うのも、しけた自宅プールも、ゴキブリ退治も>>続きを読む
大好きな一本。
『ファーストカウ』のほうが演出も寓意もキマっていて、どちらを勧めるかと言われたら迷わず『ファースト・カウ』だが、特に私、個人も馴染みの深い美大のキャンパスとアーティストたちという環境も>>続きを読む
大林宣彦。きちんとまとめて見てこなかったのもあり、冒頭のアパートのシーンでの台詞に基づいたかなり強引な編集にびっくりした。
幽霊の仕掛け、雨、そして最後のダメ押しのように挿入されるイタリアンホラーのよ>>続きを読む
ずっと食わず嫌いだったラヴ・ディアスを初めて見た。ひとまずこういう理由で長いのかというのは納得した。
納得理由としては、これはVRに近いものなのだと思う。話はノワールというか、タランティーノのキルビ>>続きを読む
相米慎二だが、1983年『探偵物語』によく似た時代性を感じる。殺人事件とその真相解明を通じて人の心の汚れに触れて成長する十代の純粋な少女という物語。そこがいかにも量産品っぽくて安っぽさを感じた。
こ>>続きを読む
「ボクシング」ではなく、あくまで「ボクシング・ジム」なのがよい。コミュニティ、場所としてのジム。そこで交わされるルーティンと雑談。試合や選手のドラマはない
短めのワイズマンで政治の話はいつもより少>>続きを読む
こうして晩年になってみて、あらためてカウリスマキはぜんぜん小津にもブレッソンにも似ていない。小津の超然もブレッソンの狂信もない。あくまで人間が好きでメロドラマをやるからこそ、両者のような極端な手法を決>>続きを読む
いかにもアメリカ的な富と欲望の物語として見たときに、そして同じ系譜にあるはずの近作と、富の象徴たる液体の流出シーンを見比べて見たときにこの映画の煌びやかな価値がひとつすくいとれるように思う。
決して、>>続きを読む
15年も前に見たときはほとんどファンタジーのように動物が死ぬほど出てくる画面を愉しい愉しいと思って見たけど、これ、ヤクザ映画なのか
行政も警察も行き届かない田舎に、右翼のチンピラと地元の親分みたいな>>続きを読む
割と単純な話だが、料理の描写の執拗さで愉しんだ。
(ドダンという男にとってパートナー、ウージェニーは、仕事仲間(料理人)なのか女(妻)なのか。後者であることを受け入れた途端に女が死ぬ)
映画の料理>>続きを読む
かなり寝てしまった。いかにも元々は演劇だろうという作品で、筋は百合版の『ヴェニスに死す』
他のメディアのアイデアは、再構成すべきで再現してはいけないという反面教師の良例。
見終わった直後はこんなもんか、と思ったけど時間が経ってからとても良かった気がしてきた。
アクション、プロットのきっかけになるシーンが随分あっさりしているのに比べてギャグ(秀吉組の掛け合い、家康の影武>>続きを読む