逃げて「生き延びる」よりも、戦って「生きる」。
それも娘のためだと母は言う。
その姿勢を見て育った娘には、彼女たちの行動はどう映るのだろうか。
何の罪もない子どもたちの命が粗末に扱われるのは
できれば直視したくなかったと思うほどに、
観ていてとてもつらかった。
でもこういう形でなければ、
きっと向き合うことができなかった現実だろう。
野菜や果物が全く出回らない食糧不足のアレッポでは、
柿一つでも貴重で、不意にもらって喜んでいる女性を見て、
いま冷蔵庫のなかに大量に頂き物の柿を余らせているわたしは
己の幸福に無自覚で、幸せボケしているなと感じた。
いま私たちが生きている平和も、先人たちが作り出したもの。
微妙なバランスが保たれて、やっと維持されているもの。
そういった感覚を忘れずに生きていきたい。