otomisan

ビューティフル、グッバイのotomisanのレビュー・感想・評価

ビューティフル、グッバイ(2019年製作の映画)
4.5
 一度見ただけでは何かがすり抜けてしまうように思う。愛とか恋とかの言葉に当て嵌めにくい何だかが只者でない二人だけに通じてるような、本当は恐ろしい一件なのに。
 不幸な二人が不幸なめぐりあわせでなんて珍しくもないが、凶状持ちとリビングデッド、意外にも好相性で笑ってしまった。しかしご想像通り、ちっとも笑えない結末を迎える二人であって、妙に美しげな締めくくりが、感想書きの手を押し留めるのである。
 いかにも奥手な大ちゃん32歳、発声障害ウェブライターが背負い込んだ凶状とてDV野郎に向けて義に駆られて(?まさかウェブ記事取材突撃)の事。正体不明なっちゃん20歳、アジア系帰化人?がLD化したのもサイコ系野郎との経緯あっての事。そうでなくとも生きづらそうな二人が一緒に逃げるのもどん底同士なればこそ。しかし馬鹿にあっさりとLDを受け容れてしまうのが笑えるというか呆れるというか、どん底のどん底たるところか?普通の暮らしこそよっぽど生きづらいというところなのか?ゾンビななっちゃんはさて置き、大ちゃんの発声障害がふたりでいると不思議と治まり話も円滑なわけだ。
 短い付き合いとは承知の二人が「生きてる」間に叶えたい夢を出し合ったり、LDの張本人自惚れサイコ野郎と対決したり、村のプールでこっそり泳いで追っかけられたりしながら西方浄土でも目指すかのように落延びるが、追っかけたところで夢なんて叶ってはくれない。
 なっちゃんの夢のひまわり畑の枯れ野原を大ちゃんひとり腹に収めてその夜に、二人の別れる最後、なっちゃんが大ちゃんの絵をひまわりで飾って渡す二人の会話の間遠さを繰り返し眺めてしまった。LDも食べずにいれば死ねるなら、あのまま死ねたらいいと思う。
 夢なんておいそれと叶ってくれないけれど、せめて行ける限り行った西の果ての浜にひまわりで飾られた自分となっちゃんの鼻歌レコードを供えて立ち去る先を死刑台とでも思うのだろうか大ちゃんの、その退場を見ていたらついさっき見た火野正平じいさんのこころ旅のような、一巻の終わりの解放感が連想された。
otomisan

otomisan