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花束みたいな恋をしたのotomisanのレビュー・感想・評価

花束みたいな恋をした(2021年製作の映画)
4.0
 むかしから女が花なら男は蝶々でこころは移ろいやすい。たとえば経済が逼迫すれば働きに出にゃあなぁ、となり、こころの内に育てていた何かを閉じるのもやぶさかじゃない。なかなか趣味が合う気が合う大学生同士の"現状維持"同棲のままで共白髪とはいかない。まあ、べらぼうなスポンサーがカネを垂れ流してくれるなら話は別だ。

 対して、女はこころが霞を食って生きてる内は物事に動じないらしい。そんなこころが揺るぐのは霞の晴れてしまった時、菅田将暉ひとりとの経験だけでは霞も吹き飛んでしまうような冒険は起きないんだろう。
 たとえばオダギリ社長の回遊ポイントに属してやがて捨てられてみたいな事を経れば、菅田将暉からは得られなかった痛烈な批評を三下り半代わりに刻み込まれるのじゃないか?菅田将暉では5年なら社長は三月と経たず嵐を吹かせてくれるだろう。

 花束とはよく言ったもので、地に根を張っても花は枯れるが茎と葉の時期ははるかに長く、花は実を結ぶためにも咲かねばならない。しかし花束は花の内に刈られ諸々集められ一個の有村とされて今が旬、菅田将暉宛てに届けられてわずか5年、いや実に、5年のいのちに過ぎない。
 しかし、有村の実相がこんな花束に過ぎないわけがあるまいから、次々に伸びて咲く有村の花の地に根を張るそのままをいつか再会するであろう菅田将暉に示せればいいだろう。社長ほかとの経験が有村の花の肥やしになるのか毒になるのか、これは有村を生きてみなくちゃ分からない。

 この再会であるが、ほかの男はいざ知らず5年咲かせた花束の男のアドバンテージは揺るがないだろう。ある意味、別れてまた会って、更に別れてとを繰り返して両者は回遊する重心を共有していたことに合点がいくのかもしれない。この宇宙の星々もその多くがパートナーを持って互いをめぐり続けながら容易に一つにならず暮らしている。
 まあ、他者の摂動を受けてどちらかが軌道を逸脱するまでの事かもしれないが、蝶々も花もやがてすべて枯れて死ぬ。どちらが早いかである。
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