このレビューはネタバレを含みます
当たり前だけど、戦争は悲惨さしかない
国や家族のために命をかけても、上層部や国は責任回避にしか走らない
ましてや、今回は南北で元同胞同士
生き残った者もつらい人生
やるせない
個の映画は実話を基にしている
1950年6月25日
ソ連の支援により北朝鮮軍が38度線を越えて南侵
韓国軍は1か月で洛東江(ナクトンガン)まで追い詰められ
絶体絶命の危機に陥った
これに対し国連軍総司令官マッカーサーは
仁川(インチョン)上陸作戦を敢行
その計画を悟られぬため
元山(ウォンサン)、注文津(チュムンジン)、群山(クンサン)、
盈徳郡(ヨンドクグン)、長沙里(チャンサリ)への陽動濁川を指示した
最後の砦、洛東江(ナクトンガン)戦線から兵を送れず厳しい状況の中
仁川(インチョン)上陸作戦を前に、
学生兵772名を乗せた汶山(ムンサン)号が長沙里(チャンサリ)へ向かった
1950年9月13日 23時
ゲテ…父親猟師、
チェ・ソンピル…鎮南浦(チンナムポ)、
ジョンシク
クク・マンドゥク…巨漢、ジョンニョを守るため塩水で炊いたご飯も食べ
上陸艇4艘、台風、波が高い
1時間後の4時に長沙里に上陸
遊撃隊…二百高地奪還、太極旗を立てる
上陸時に国連の飛行機と米駆逐艦の支援を受ける予定
奪還4日後には再び釜山に戻る→誇り高き“ミョン部隊員”と認められる
米軍
マギー…記者?
洛東江戦線を守るため786人死亡
マッカーサー将軍は仁川に懸けてる「何も知らない学生を捨て駒に?」
エンディコット
汶山…30分後に作戦地に到着、支援砲撃の確認
速度維持で行ける所まで→座礁
→陸地から砲撃受け、支援砲撃ないまま上陸に
船長
第1分隊長チェ・ソンピル…水泳の選手
→ロープを身に着け上陸
鉄条網、地雷
ようやく戦闘機の支援
9月14日7時
戦闘機帰還
第2中隊長…特任班を組み、右に回って山頂の機関銃を抑える
第3、第4中隊…第1、第2中隊の援護射撃で特任版トーチカ奪取まで10時方向へ進みかく乱
テソク…左側へ1人で、ダイナマイト(学生を殺したくない)
イ・ゲテと2人
→高地奪還
“母さん、サンホです。臨時招集で学校に行った日、突然現れた人民軍に無理やり軍服を着させられ、前線に連れてこられました。母さんに挨拶もできなくて心残りです。もう数百発もの銃弾を韓国軍に撃ち込みました。僕の縦断にどれだけの人が倒れただろう。僕は軍服の下に制服を着てます。韓国軍と会ったら、京義(キョンギ)高の学生だと言うつもりです。そうすれば助かるかも。早く戦争が終わってほしいです。家族のみんなにすごく会いたい“
人民軍…死者139名、捕虜14名、トーチカ3基破壊、火砲3門車両3台確保
船員死亡
無線機壊れ、通信兵も全員死亡→本部との通信手段を失う
食料ゼロ→学生兵を村に行かせて調達
イム将軍へのインタビュー
イ大尉…士官学校出身、後方勤務、戦闘経験なし、軍人として未熟
長沙里侵攻はイ大尉志願(遊撃隊が必要との訴え)
「学制は訓連を終えたのですか?」
「部隊の支援について何か計画は?見捨てたりは…」「この女は何を言ってる。明日の仁川上陸作戦が失敗すれば全て終わりだ。大佐の顔を立てて取材に応じたのに。韓国兵を思うのはいいが、記者として少し冷静になってくれ」「成功の見込みがないから支援しないと?」「失敗したら全てイ大尉の責任だ。もう帰れ」「長年の従軍記者生活で、部下を大事にしない指揮官は初めて見た。取材は以上」(通訳に)「何と言ってた?あのアメリカ女は何と?」
9月15日2時
無線機修理→不通
捕虜の話…明朝、人民軍2連隊が浦項(ポハン)を発ちT34戦車4台と共に長沙里へ、遅くとも明日の日没前には到着
連絡将校2人がゴムボートでエンディコットへ
戦車が来る前に先制攻撃
トンネルで待ち構え奇襲、トンネルを封鎖し救出までの時間稼ぎ
戦車がトンネルまで6時間、作戦行動2-3時間
マンドゥク「俺を罵っていいのは母ちゃんだけだ」
9月15日8時
作戦本部
電文“8時、米海兵隊、月尾島占領、米軍負傷者17名、北朝鮮軍死者108名、負傷者137名”→仁川の奇襲作戦は圧倒的勝利
“人民軍第5師団の2連隊が長沙里へ出発”
米海軍が救出に→悪天候で引き返し
キ・ハリュンが地雷踏み
→一等軍曹∶踏み足交換→2で逃げ
→対戦車地雷(10人乗ってもビクともしない)、掘り出して運ぶ
人民軍服に着替え車に
9月15日14時
トンネル到着
イ・ゲテ…見晴らしのいい場所で見張り、人民軍が来たら知らせる
弾薬尽き
ジョンシク…ジョンニョ(双子)、出発前日に訓練所のトイレで入れ替わり、マンドゥクは初めから、ソンピルも知る
チェ・ソンピル…北の言葉で食料調達、南に避難途中で家族が爆撃で全員死亡(水汲みで難を逃れ復讐)
村にジェピル…従弟
山中の木に縛り放置→スパイと疑った兵が銃殺
9月17日11時
米軍ヘリ→隊長を乗せ離陸
マギーが長沙里への救出船搭乗志願
9月18日
隊長と救援物資
明朝6時に撤収船
人民軍が再び長沙里へ
第2中隊が食い止め、負傷者から船へ
9月19日6時
撤収船…「エンジン停止。これ以上は近づけません」「遠すぎて乗船できん。もっと近くへ」
“仁川上陸作戦と同じ頃、韓国の部隊が別の海岸で牽制攻撃を行った。平壌(ピョンヤン)の放送局はこれを直ちに報道。北朝鮮軍は混乱に陥った。投入されたのは学生兵で編成された遊撃隊。訓練期間が短く認識番号も与えられていない”
人民軍が見え「予想より早い」
座標を送り、撤収船からの砲撃
沖の船を見て「なぜ遠くに?無線を。鳥致院(チョチウォン)号、こちらミョン部隊。船を近くに」「上陸艇を送る。負傷兵を乗せろ」「ダメだ。残りの兵は泳いで行けない。近づけ」「これが限界だ。速やかに退却を」上陸邸「直接言いに行く」
人民軍が船に気づき、戦車で砲撃
船に辿り着くが砲撃を恐れてゲートを閉じたまま
→側面を下ろした網に
海岸での防衛戦
「基幹兵は残り、学生兵を先に船へ。行け。お前たちは先に行け。急げ。銃を置いて早く。さあ。急ぐんだ」
ハリュン「ソンピル、これを。家族に渡してくれ」
その手紙をマンドゥクに「お前が渡してくれ」
網につかまったマンドゥクとジョンニョ
戦車の砲撃でマンドゥクも被弾し、落ちかけたジョンニョを支えきれず、ジョンニョは海へ
中隊長が銃を撃とうとした発射されず被弾
→クク・マンドゥクの銃で、暴発させた後にセーフティをかけたまま
2人だけになり「家に帰れるかな」「帰れる」
ソンピルの手を握り「元気でな、友よ」
ソンピルが撃たれ、ハリュンが手榴弾をダイナマイトの箱へ投げ
イ・ミョンジュン大尉の軍事裁判
「では被告人自ら弁論を」「正義感にあふれ、体格のいい学生を遊撃隊員に選びました。もしも、長沙里の海で死ななければ輝かしい人生を送れたであろう若者たちです。彼らに軍の認識番号を与え、人々の記憶に残るようにしてください。それだけは私の命に代えても必ずお願いします」
「イ大尉に死刑判決を?勝つ見込みのない作戦を、引き受けた彼がなぜ死刑に?」「上層部は汶山号の放棄と、多大な犠牲の責任を誰かに負わせたいんだ」「将軍に電話を」「無駄だ。判断を誤り多くの犠牲者が出た。国連軍は作戦を機密として関与も否定するだろう」「何ですって?」「君の記事だ」封筒を差し出し「国防省に提出しただろ」「大佐が検閲を?」「外交官が返還してきた。米国の安全保障には役立たないからだ」「違法行為ですよ」「多くの米国人がこの半島で犠牲になった。それが何のためか君は知ってるはず。全ては米国の自由主義を守るためだ」「言論の自由こそが、米国の自由主義で重視されるべきものです。何としてもこの戦争を世界に伝えます」頷き「OK」
ハリュンの手紙を手にしたマンドゥクが泣きそうな顔で母に近づく
年をとったマンドゥクが波打ち際に
海に向かい「ジョンニョ、ハリュン、ソンピル。そっちで元気にしてたか?先月ゲテもお前たちの所に。俺ももうすぐ行く。お前たちは若いままだろ。俺は年老いたけど、気づいてくれよ」
涙を流しながら波打ち際を歩くマンドゥク
い大尉のモデル、イ・ミョンフム氏は名誉を回復
学生兵への認識番号付与に身を捧げた
マギーという役を着想させてくれた、従軍記者の女性たちに感謝の意を表する
国のために命を懸けた学生兵に本作を捧げる
20231024 957