上京して2年と3ヶ月経った。下北沢の街は自分が住んでいる地域からも程近く、週末にふらっと出かけてたりしているのだが、そこでよく見かける街並み、よく見かける雰囲気の人々の、ありのままの姿が、この映画の中にはあった。
再開発中であちこち工事していて、街並みは変わって行くけれど、昔から変わらないのであろう独特な空気感が存在する下北沢。
渋谷や新宿のように忙しなく時が流れている感じは無いとは言え、所狭しと人はいて。当然そこには、文字通り十人十色な生活があるわけだが、下北沢という1つの街の上で暮らしている以上、いつの間にか重なり合う部分も出てくる。
緩やかに流れる毎日と、時折訪れる非日常。ふとしたことがきっかけで絡まった糸を解きはじめると、結び目は予想外に複雑になっていたことに気づく。
アオのように不器用な人間は往々にして、自分の知らぬところで人間関係が絡まりがちなものだが、それに気づいた時に、ゆっくり向き合って解いていければいいのだ。
という解釈をしてみた。制作技法的な観点から言うと、構図は殆ど視線の高さの定点で、気を衒ったような角度からの撮影は一切ない。全体的にBGM少なめで、ベースノイズと登場人物達の独特な間をもった会話が中心。
映画好きには、いわゆる「説明台詞」が多用される映画は毛嫌いされるが、この映画(というより今泉監督の作風として)はむしろ、人によって色んな解釈ができるような抽象的な台詞が多いと感じる。かと言ってポエム臭さは全くなく、あくまでシンプルかつ自然な会話だけでストーリーを展開させていくから見事だ。
それ故に、人にストーリーを説明するのがちょっと難しくもあるのだが。