イスケ

一寸先は闇のイスケのネタバレレビュー・内容・結末

一寸先は闇(1971年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

罰を受けたいのが見え見えのシャルルに、罰を受けさせないフランソワ。
二人で焦らしのSMプレイでもやってるのかと思ったよw

いや、でも本当にフランソワは「わざと」シャルルを赦すことで苦しめようとしてるんじゃないかと疑い始めた自分がいたのだけど、全体を通して考えれば、やはりそれは邪な見方だろうな。



シャルルは自らの最大の苦痛を徐々に理解していく。それは「赦し」。

「このまま放っておいたら、自分は絶対に捕まることがない」という確信を持ったあたりから、自分で犯行をゲロしていくようになるわけだけど、それがまた小出し小出しでいやらしいw

でもシャルルの期待とは裏腹に、全ての告白に対して、妻や友人は「意図的な殺人ではなく事故だ」と結論づける。
そのベースにあるのは、長年の付き合いで築いた彼への信頼だ。

所詮、人間は他人の外側しか見えない。
それはどれだけ長い付き合いだったとしても同じ。

シャルルが長年かけて築き上げた信頼は、意図的な殺人ですら「不慮の事故」のように思わせることに役立った。
しかしながら、その信頼というものは、彼が「見せたい姿」を見せていたに過ぎないわけですよ。

この時期のシャブロルが、中産階級の倫理観や道徳観の薄さを多く描いていたという観点から考えると、シャルルという人物や殺人を犯した人間が野放しになってしまうシステムを通して、倫理や道徳に頼ることの空虚さを伝えたがっているように感じた。


外側を取り繕って信頼を得るという点において、シャルルはズバ抜けた才能を有していたのであって、会社の金を着服した従業員よりも、よっぽど詐欺的な才能があったんでしょう。

ローラとの逢瀬に使われたアパートを所有している女性は、明らかにシャルルのことを疑っていたもんね。
二人の間に信頼関係を築いた歴史がないから、事実に素直なわけだ。



シャルルが自白を仄めかした夜、エレーヌが睡眠薬を過剰摂取させたのは、自白することで家庭が壊れることを恐れたからなのかもしれないとは考えた。
つまり、エレーヌが一枚上手だった説。

常にシャルルへ赦しを与えるエレーヌは女神だったけれど、一方で、「信頼しているにしても不自然ではないか」と感じたことは否めないからです。

もしも、彼への信頼と共に、

「自首したってローラは帰ってこない。自白は家庭を壊すだけでしょ。」という現実的な想いがあったとしたら?

そうなってくると、あまりにも従順でお花畑に見えたエレーヌが、極めて計算高い女に見えてくる。

そして、それは「誰からも好かれる男」という外側を作り上げてきたシャルルと同じこと。
エレーヌも女神を演じていただけかもしれないよね。内側は誰にも分からないのだから。

道徳心を問うたこの作品の中で、中産階級の夫婦が共に道徳心が欠けていた(=どうしようもなくなったら殺してまえ)という展開は、なんら不思議ではないはず。


ラストシークエンスで、穏やかなひとときを過ごす家族の姿は、エレーヌの思い通りにことが進んだとも言え、
もう一つの未来との強烈なコントラストが効いている。

ただ、海で優雅に過ごすエレーヌの心の中は、在りし日のシャルルのように穏やかではないのかもしれないですね。
イスケ

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