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映画クレヨンしんちゃん 激突!ラクガキングダムとほぼ四人の勇者のTorichockのレビュー・感想・評価

4.4
「映画クレヨンしんちゃん 激突!ラクガキキングダムとほぼ四人の勇者」

【もう自分には夢の無い絵しか描けないと言うなら】


自由を与えられると困ってしまうのは、きっと自由をコントロール出来ないから。
自由を求めるのは簡単だけど、自由を使いこなすのは難しい。

大人たちに
「落書きを書いてくれ」とせがむシーンがあるんだけど、大人たちは誰も描こうとしない。
でもそれは、描こうにも描けないということでもあるような気がする。
自由にキャンパスを染める前に、
何を描くべきか
何を描いたらいいのか
何を描いたら正解なのか
何を描いたら賞賛されるのか

そもそも
いま何かを描く必要があるのか
と自分に問いかけしまい、何も出来なくなる。
そして、自分で考えたり想像することやめてしまう。

分かりやすい敵を即席で作って糾弾し、自分は正しくて被害者だと騒ぎ立て、相手がどんな相手で何を感じているかも考えることもなく苛立ちをぶつけ、他人の忠告に耳を傾けることなく、みんなが動く方に右に倣えしつつ、自分だけが助かる道を我先へと生き急ぐ。

これからを生きる人たちに責任をなすりつけるシーンは、自分たちが被害者でもあり、これから加害者にもなるんだということを示唆された気がして、無邪気に喜びながら映画を楽しむ子供たちに、いたたまれない気持ちになってしまった。

自由

自由はそんな簡単なものではないんだ。
生み出すことも保つことも、恐ろしいほどのハードルがあるから。
自分たちはきっと、もっと真剣に自由を考えなくちゃいけない。それは自分のためだけではなくて、これからを生きる子供たちや苦しんでたり戦ってる人全てのために。

創造的とか独自の発想とかレガシーとかそういう、どっかの知事が口にするような聞こえのいいだけの"言葉"ではないモノ。
頭の良い奴らが上手く誘導してた、誰かが得をしたり誰かを傷つけて排他するための創造とかではなくて、もっともっと自分を楽しませるために生まれる純粋なエネルギーや創造を。

成功と失敗、正義と悪、損得・・・それは結果にしか過ぎなくて、結果っていうのは行動の先にしか存在し得ないモノで。
つまり、やっちゃうしかないんだと思う。
自分が好きな方へ、自分が自分を解放できる方へ、自分を愛せる方へ。

終盤のシーン、彼らが描いたキャンパスには、そんな創造が満ち溢れていたような気がする。
やっちゃうしかないんだよ。
やっちゃえばやっちゃえばやっちゃえやっちゃえやっちゃえば・・・‼︎‼︎

【塗り潰してよ キャンバスを何度でも】

まだ未来はある。
エンドロールの「落書き協力」を見ればわかるはず。
新しく一歩踏み出す勇気があれば、その心は世界を救う。

あなたはこの作品を観た後、自分を何色に染めますか?

【今の私はあなたの知らない色】
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