CHEBUNBUN

The Forbidden Room(原題)のCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

The Forbidden Room(原題)(2015年製作の映画)
5.0
【日本公開切望のオールタイムベスト映画】
※以前のレビューがポンコツだったので書き直しました。
※派生作品『Seances』や制作背景についてはnoteに記載しました。

note記事:ガイ・マディン『The Forbidden Room』『Seances』失われた映画を求めて、あるいは一回性の映画を求めて▽
https://note.com/chebunbun/n/nd19c13e08513

動画版▽
https://www.youtube.com/watch?v=myPrlB3SkFI

怪しげな男がカメラに向かって語りかける。マーヴと語るこの男は
「今宵、風呂について議論し合いたい」と我々に訴えかける。泡をかき混ぜ、入浴を愉しむ姿が70年代ポルノ映画のタッチで描かれる。狭い空間ながら、性的であり開放的な空間である「風呂」との比較対象として「潜水艦」の姿がオーバーラップしていく。

同じ狭い空間でありながら、この潜水艦は息が詰まるようなものとなっている。揮発性の物質を運ぶ潜水艦の乗組員が絶望的状況に陥り発狂寸前だからだ。そこへ異界から木こりが乗り込んでくる。

「木こりが潜水艦へ入ってこられるなら我々も外へ出られるのでは?」

乗組員たちは生き延びるために異界の扉を探す話であるのだが、映画は『サラゴサ手稿』さながら複雑怪奇な入れ子構造となっていく。ここで数々の新作が怒涛のように雪崩れ込む。(ガイ・マディンは『サラゴサ手稿』をつまらないと評価している。)

インタビューによれば、この入れ子構造はエヴァン・ジョンソンによるものであり、レーモン・ルーセル「Documents to Serve as an Outline」を参考にしているとのこと。

ガイ・マディン映画の特徴として、クラシック映画のテイストを維持しながらも当時は実現できなかったような編集が施されているところにある。

最近では山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された『声なき証人』が近いだろう。コロンビアで発掘されたサイレント映画を修復したとテロップが表示されて始まる。最初こそは三角関係の恋愛ドラマとなっているのだが、中盤におぞましい火災が起きてから映画のジャンルがガラリと変わり『地獄の黙示録』さながらの冒険奇譚となる。主人公たちはそれと同時にフレーム内から消滅する。本作は実際にコロンビアで出土したフィルムを繋ぎ合わせて架空の映画を作るといったプロジェクトだったのである。

『The Forbidden Room』では、出土したフィルムを監督たちが自ら生み出している。生成された映画の断片を繋ぎ合わせて一本の映画にしているのである。それはまさしく「夢」に近いものがある。我々が夢を見るとき、断片的に異様な空間や不整合な物語が生成されるが、それを受容することで夢は続く(受容しなければ目覚めてしまうだろう)。本作は、タイトル画面においてギャスパー・ノエ以上に異なる質感を持った画の連続によって、異次元から出土したフィルムの世界へ身を投じることを強要し、潜水艦の物語が破綻しようが、夢における不条理を受容することで成立するものとなっている。また、ミュージカルパートでは、司会の顔がスクラッチされており一意に定まらないのだが、これは我々の夢における他者の顔の不鮮明さに対するオマージュであろう。

しかし、本作は単なるビザールな映画には留まっていない。映画史における問題点にもフォーカスが置かれている。例えば、洞窟で民族による儀式が行われる場面。male-gaze、男らしさを強調するフッテージと隅に佇む女性のフッテージの交差によりF・W・ムルナウやロバート・フラハティが「見世物」としてプリミティブな社会を捉えてしまっていた側面を批判的に描いているといえる。男同士の決闘手段のスケールが小さいことから皮肉として機能しているだろう。第1回戦で指パッチン決闘が行われる。第2回戦では屑肉を積み上げて排泄物のようなオブジェを作る決闘が行われる。第3回戦では睾丸の重さを競い合うものとなっている。第4回戦では動物の膀胱にストローのようなものを挿す。それを互いに吸いながら、パンパンと膀胱を叩きあうルール不明瞭な決闘である。

このような失われた映画を求めて誕生した『The Forbidden Room』は姉妹作である『Seances』へと引き継がれていくのである。
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