劇場未公開だったクストリッツァのデビュー作が『アンダーグラウンド』リマスター版公開に併せてさらりと公開されたけど、もう少し(あと二十年)早い方がよかったのでは。タイミング的にもったいない感じ。
クストリッツァはプラハの国立映画学校でイジー・メンツェルに師事していたってWikipediaでさっき知ったのだけど、言われてみるとああ、と。『厳重に監視された列車』のラストは『ジプシーのとき』だわ。『ドリー・ベル』も童貞物語ではあるし。映画学校出てからサラエヴォのテレビで何本か撮ってはいたそうだけど初映画作品でこれは、やはりすごいかも。
本作はのちのクストリッツァ作品のかすかな原型みたいな部分が散見される。『パパは出張中!』以降にみられるフェリーニ的な魔的な要素はまだ無い。しかしスラヴコ・スティマチ演ずるディーノが自分が飼っているウサギに催眠術かけようとするところなどは『ジプシーのとき』で祖母の超能力を受け継いだペルハン少年がガチョウにまじないをかけるシーンにつながる。
共産主義を信奉する父親は『パパは出張中!』か。ドリー・ベルと呼ばれる女の子を囲う「皮剥ぎ」と呼ばれるチンピラが「ミラノで売春させて稼いでる」というエピソードも『ジプシーのとき』で成金ジプシー役のスルジャン・トドロヴィッチ(『黒猫白猫』でもヤク中のいかれた成金ジプシー役だったが『アンダーグラウンド』では知的障害があると思しき純朴な青年ヨヴァン役を演じたカメレオン俳優)がジプシーの子どもたちにミラノで物乞いや売春をさせてピンハネしてるというプロットにつながる。
音楽もまだジプシーブラスは1ミリも出てこない。コルホーズ的なところで「文化的な演し物」としてバンド演奏が奨励されて、ディーノほかヒマしてよからぬことをしてる少年らが抜擢されるが、カウリスマキに出てくるようなシンプルなポップスを演奏している。クストリッツァなので音楽が重要な要素ではあり、ディーノの叔父さんがトルコのサズみたいな楽器を弾きながら歌うところもあってとても好いのだが、奥さんや子どもらは「また始まった」みたいな感じでうんざりしている。
画面の陰影が濃い感じがのちの作品からするとちょっと珍しい気がするが、弱々しかったディーノがラストにバンドで演奏し歌っているアップの表情がその陰影を伴いながらちょっと精悍さを身につけたように見えるのも好い。全然関係ないがディーノ役のスラヴコ・スティマチはサム・ペキンパー『戦争のはらわた』に子役で出ていた。
この作品では大人と子どもは決して分断されているわけではなくて、バンドのマネージャー的なおじさんや、酔っ払って帰っては寝てるディーノたちを起こして「会議」をするお父さんなど、隠れて喫煙や飲酒してるのも含めて子どもたちがやることを見守ったり後押ししてくれている。
プラトークのようなものを頭に巻いた女性がお父さんの亡くなったことを確認すると「床に寝かせてメッカの方向へ向けて」とディーノたちに指示する。彼らがムスリム(モスレム人)であることがここでわかる。本作の時代よりずっとあとの『ライフ・イズ・ミラクル』では1992年以降の内戦により旧ユーゴスラビアに住んでいたモスレム人、セルビア人、クロアチア人が対立分断し、虐殺や蛮行が続いたことが物語の中心になっている。スラヴコ・スティマチはこの作品にも出ていた。このあたりの複雑な歴史もクストリッツァ作品が無ければ露とも知らなかったかもしれない。
クストリッツァ作品の主演女性は可愛くて強くて瑞々しい感じの人が多くて私は好み。本作の「ドリー・ベル」役のリリャナ・ブラゴイェヴィッチも好かったが、チンピラの怒りを買って少年らの性暴力に遭うシーンはつらかったしこういう表現はもう見たくない。