このレビューはネタバレを含みます
近未来、というにはあまりにも近すぎる2025年のウクライナが舞台。ロシアとの戦争が終わって一年後の設定になっているが、日々のニュースでロシア軍侵攻によるウクライナの悲惨な状況を目にしているだけに、かなり生々しさを感じる内容だった。
この映画が製作されたのは2019年だが、ウクライナにとってはロシアの脅威はとても身近なものだったのだなと考えさせられた。
戦争が終わっても、すぐに日常が戻ってくるわけではない。
土壌や川は汚染され、無数の地雷が埋められた市街地からは人々の生活が消えてしまった。
戦争に従軍していた二人の男が、的に向かって射撃をする前半のシーンが印象的だった。
戦争状態が日常であったために、彼らは労働者としての日常になかなか馴染むことが出来ない。
そして彼らのうちの一人が工場で自殺してしまう。
工場も閉鎖され孤独になったもう一人の男セルヒーは、戦争で命を落とした兵士の遺体を掘り起こすカーチャと行動を共にするようになる。
彼女はボランティアで遺体の身元を確認し、遺族の元に帰そうとしていた。
次々と身元の分からない兵士の遺体が運ばれてくる場面はかなりショッキングではあるのだが、固定されたカメラで淡々と遺体が検分されていく様はまるで普通の日常のように抑揚がなく、却って感情があまり揺すぶられなかった。
日常を失ってしまった瓦礫だらけの家々も、地雷に吹き飛ばされた自動車も、ビニールに包まれたミイラ化した兵士の遺体も、色も温度もないように感じる。
それらの光景と、セルヒーが野外でドラム缶にお湯を張って浸かるシーンとが同じ日常として描かれる。
淡々と描いているからこそ、後々にずしりと響いてくる作品だった。
カメラの構図もとても美しいと思った。
多くの住民が家を捨てて逃げてしまった中、セルヒーは瓦礫の中に残り続ける。
復興には時間がかかるかもしれないが、ここが自分の住む場所だと強く信じているから。
セルヒーとカーチャは互いに相手を求め合うようになるが、彼らが寄り添う姿をサーモグラフィで映し出すシーンはとても印象的だった。
サーモグラフィを通すと暗闇でも人は赤くはっきりと浮かび上がる。
それだけ人の体は温かいのだ。
だから冒頭の、ウクライナかロシアか分からないが、まだ生きたまま埋められていく兵士の姿がとてもショッキングだった。