セラピー映画だった
始まりはスパイダーマン=ピーター・パーカーだとバラされ青春を奪われたピーター達の学園コメディ。
呪文で都合よく忘れて大学生活を満喫したい!そんなノリだったが、現実はそう甘くない。
トニースタークは皆んなに知られながらヒーローをやるというプレッシャーは半端じゃなかったと感じた。
マルチバースから"ピーター"を強烈に知ってるヴィラン達が逆に来るという迷子状態(ノーウェイホーム)
ピーターは死ぬ運命を目の前にしたヴィラン達を普通の人間に戻して家に帰すという今までのスパイダーマンシリーズの無念を晴らしてくれた。
死を選んだ若しくは、選ばざるを得なかったヴィラン達を"治療"することは観客の心をそしてピーター自身を治療してくれたと思う。
ホーム3部作はティーンエイジャーの葛藤コメディだということをお忘れなく。
メイおばさんを失ったとしても、大切な人を亡くした先輩たち(トビーマグワイア&アンドリューガーフィールド)のそれぞれの後悔の言葉に考えさられ、大人になってく姿が描かれてた。
ライミ版ではベンおじさんの言うことを聞かずに亡くし、怒りに任せて相手に慈悲の心も抱かなかったこと。
ウェブ版では戦いに巻き込んでしまったグウェンを救えなかったこと。
ピーター同士の会話が傷ついた心をお互いに癒す集団セラピーの様な感じがした。
トムホピーターにとって2人は紛れもなく"親愛なる隣人"だった。
そして、それぞれの物語では語りきれなかった悔いに対しての"優しさ"が詰まってた。
失くしたものの数だけ後悔があっても、この時間は無駄では無く、いかに自分と向き合えるかどうかだと思う。
トビースパイディは親友の父を死なせなかった。刺されたとしても。
アンドリュースパイディは大事な人を落下で死なせなかった。
"大いなる力には大いなる責任が伴う"
最後のケジメとしてはスパイダーマンはこの言葉に尽きると思う。
MJとネッドの前で"親愛なる隣人"である事を望んでそっとドーナツ屋を後にしたピーターがかっこよかった。
トムホピーターにとって、クイーンズがノーウェイホームになってしまったが、孤独なヒーロー:スパイダーマンが爆誕!今後の大学生活か楽しみでしょうがない。
P.S.フラッシュが出版してた"フラッシュポイント"とか小ネタも多いので色々探してみてはいかかでしょうか。