マインド亀

ファースト・カウのマインド亀のレビュー・感想・評価

ファースト・カウ(2019年製作の映画)
4.5
歴史に埋れた名もなき者達の、友情と生活と、そこに生きていた証の話

●初めての、ケリー・ライカート体験。映画ファンが待ちに待って、この作品だって3年かかってようやく上映。
そしてようやく観られたこの感想。なんでしょうね、この「なんだか豊かな時間を体験した」気持ちになったと言うと、安っぽいし、的を得ない。言語化出来ないこの気持ち。
正直言いますと、最初のほう、少しだけウトウトしてしまいました。観ていて気持ちよくなるんですよね。目に優しい色使いとか、画面構成とか、生活音、環境音。アスペクト比はほとんど正方形で、奥行きのある上に凝縮された情報量、親密感。タンカーはゆっくりと横に平行に動いていくし、真っ暗な夜はちゃんと識別できないくらい真っ暗で、ロウソク炎ののゆらめきはちゃんとユラユラと陰を作って、その全てが気持ちいい。
だからこそ、ウトウトしてしまうのも、映画体験。当然全編寝たわけではなくって、最初の方にすこしだけ。退屈とかじゃなくて、穏やかな気持ちになれるというか。

●だからといって、この映画が環境映像とか、誘眠映像とかそういう起伏のない映画だと言ってるわけではないんです。ドラマはもちろんあるんです。だけど、なんだか心があったまるというか、ほっこりするんですよね。決して生易しい話でも世界でもないのに。
むしろ話は、「持たざる者」が「持てる者」の目を欺いて、小金を稼ごうとする話なんですね。言ってみれば、結末も含めて、ポン・ジュノの『パラサイト』のような話と言っても良いかもしれない。だけども、当のポン・ジュノが「私には決して真似のできないものであって、とてつもなく、うらやましい」と言うように、こんなに豊かな時間の使い方をちゃんと飽きさせずに魅せる力量のある監督って、そうそういないかもしれません。それに、格差社会をひっくり返してやろう、とか、復讐してやる、とか、鼻の穴を明かしてやる、とかそういう話じゃないんですよね。「牛乳をお借りしてやる!」っていういうだけなのが微笑ましい(笑)
どんな時間の使い方かと言いますと、二人の生活の細かいディティールにしっかりと時間を割いてるんですよね。これがめちゃくちゃ面白いし、心が暖まるんです。
キング・ルーがキレの悪い斧で薪を割っているあいだ、クッキーはそのへんにあったほうきで床を掃き、花を飾る。樹の実の皮を剝いたり、選別したり、口に放り込んだり。ビーバーを捉える仕掛けからビーバーの死体を拾い、また仕掛けたり。その行動のディティールが、その時代の生活人としてのリアリティを感じる上に、マッチョな男の世界である西部開拓史とは真逆の、草食系男子のような微笑ましさも感じます。ほとんど男しか出てこない映画なのに。
もう、観ていると特にクッキーが愛らしくて愛らしくて。ミルクを絞ってるあいだ中、優しく牛に話しかけるのがめちゃくちゃ可愛い。。そして牛も彼に懐いてたりして(笑)
また、キング・ルーは、相当な野心家で、いろんなビジネスチャンスをずっと考えています。現代の我々からすると、スゴく的を得ている。クッキーからは「なぜやらない?」って聞かれるんですが、すぐにやれない理由を考えてしまいます。元手がないのが問題なんですよね。
このドーナツ販売だって、元手が貯まった段階で、私はいつ仲買人に牛乳を購入させてもらえるように頼むんだろう?と思ってたんですが、なんと彼らはそのチャンスを逃してしまいました。
バレてしまいそうでも、牛乳購入の商談で言いようがあったとは思いますが。
まあ、流石にまだ経済システムが未完成の未開拓地。現代の我々からすると、彼らのやり方はもどかしいかもしれません。しかし、彼らのような商売人達がそこからシステムを作り上げていったのかもしれないと思うと、なんだか有り難みすら感じますよね。

●それだけに、結末に向けての辛さはあるんですけど、不思議と悲しい、というよりは、なんだか二人がこのまま仲良くずっと一緒だった、という安堵感のほうが強く感じちゃって。
名も無い、何も成し遂げなかった、歴史に埋もれた彼ら。でも確かにそこにいて、ひょっとしたらこの土地の産業のきっかけになったかもしれない二人。これは二人の友情の物語であり、私達の物語なんだと思いました。

●ちなみに『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』のレオナルド・ディカプリオの妻役のリリー・グラッドストーンさんと、弟役のスコット・シェパードさんが出ております。同じ西部開拓史で二人を見られるのも大変興味深い話ですね!
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