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Zombi Child(原題)のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

Zombi Child(原題)(2019年製作の映画)
2.5
BIFFレポート⑪[社会復帰したゾンビを巡るお伽噺] 50点

遂にベルトラン・ボネロがゾンビ映画を撮ったのか!と話題になったのかどうかは知らんが、初のボネロに適していたかどうかは議論が必要な気がする。1962年のハイチで仮死状態のまま埋められた男がサトウキビ畑のプランテーションにゾンビ労働者として誘拐されて駆り出される話と、男の孫という少女メリッサが現代フランスのお嬢様高校に入学して同級生たちとキャッキャウフフする話が単に並行して走っているだけの現代のお伽噺であり、二つの時間軸が乖離している前半は退屈そのもの。伝統校でフランスの歴史を学び、旧時代的な校則に縛られる彼女たちと意志もなく働くハイチ(古くはフランスの植民地)のゾンビ労働者との対比は、それこそ支配/被支配の関係にあるのかもしれないし、学校併設の寮で暮らす彼女たちが真夜中の学校でガールズトークに興じるのを覗き見ているのは面白いのかもしれない。観る人が観れば。 

主人公のファニーちゃんはメリッサの怪談話を聴いて、異教としてのブードゥーに惹かれていき、メリッサの叔母を頼ってブードゥーの儀式に触れる。すると、同じ時間にその種明かしとも言うべきメリッサの解説が入るのだ。お伽噺が口頭伝承だったのを、映画のくせして形態を変えることなく音だけで提示し、やれブードゥーの悪魔がどうだの、やれおじいちゃんはゾンビだったのという果てしなくどーでもいいことを並べる。種明かしと儀式は交互に語られるが、止まって会話している前者に映像的な魅力は皆無だし、散々"ブードゥーは文化だ"と言っていた叔母さんがいきなり初めて見る儀式を始める後者だってブードゥーを西欧から見た神秘(悪く言えば邪教)としてしか扱えていない。 

ジャック・ターナーって凄かった(語彙力)ってしみじみ。ボネロは割り切らず、斜に構えてる感じがしていけ好かない。釜山では前半10分から後半25分までは寝ていたんだが、二回目観たって何も物語が進んでなかった(ファニーと叔母さんの出会いくらい)。あながち間違いではなかったのかもしれない。

※現地レポート

センタムシティのCGVには一番大きく、4Kスクリーンにマルチチャンネル(いくつかは忘れた)音響に云々という、要するにバカでかくて環境も素晴らしいスクリーンが一つある。それがスタリウムなんだが、今回はそこで本作品と次のジュスティーヌ・トリエ『Sibyl』を観ることになった。しかし、正直観る前からその両作が画質を求めるような作品じゃないことはなんとなく察していたし、実際にそうではなかった。300人近く入る会場も8割は埋まっていたが、終映後の拍手はまばらだった。ちなみに、友人とは別々にチケットを取った(正確には友人が二種類の方法でチケットを取った片方を貰った)のだが、チケット交換によって隣同士になるという奇跡が起こった。
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