Netflixオリジナルシリーズの『1983』(2019)にちょっと出ていたバルトシュ・ビィエレニア主演の今作。ずっと観たかったけれど観れずやっと観ました。彼のすごく繊細な表情の機微の演技好きなのよね。結局、人を救いたい人って本当に真に救いたいのは自分自身なのかな。
作業の合間にコッソリと内輪での暴行が行われる少年院。「聖職者になりたい」という夢を持つ彼だがそんな夢は犯罪歴が道を塞いでしまう。まもなく仮釈放のダニエルに職員が「酒とドラッグには気をつけろよ」とポンと肩を叩いた次のカットではクラブのような場所でコカインを吸引しているテンポ感がリアル。酒、ドラッグ、セックスと久しぶりのシャバの空気を味わう。
少年院出身の者たちが働く製材所に行くはずが立ち寄った教会で「自分は神父である」と言ったらたまたまその教会で代理の神父を待っていたため“本物“の神父と思い込まれてしまう。こうして彼の聖職者としての暮らしが始まる。初めての告解で告解室の中でスマホで「告解のやり方」のようなものを調べてそれっぽく話してみる。でも子どもとの関係に悩む母親に対して「一緒にサイクリングに行ってあげてください」と答えるのは現実的で実行しやすい助言だと思う。あまり神父らしくはないのかもしれないけど。
結局彼の仮の暮らしはバレる時が来てしまう。本物の神父が来てダニエルに「すぐに荷物をまとめて出て行け」と言われてしまう。しかし彼は最後にミサに登場する。村人達の目の前でシャツを脱ぎタトゥーと傷の入った身体を見せつけて去って行く。
彼は元々いた少年院に戻る。そこには彼が殺害した男の兄が待っていた。職員が目を離した隙に大柄な彼とダニエルの決闘が始まる。勝ち目が無さそうに見えたが頭突きでとどめを入れてなんとダニエルが勝つ。相手はおそらく死んでいる。その騒ぎを誤魔化すように他の少年たちが施設に火をつけ火災アラームの響くその喧騒の中血まみれのダニエルは足早に少年院を去って行く...
”本物“の聖職者って?
信仰があってそのための学校へ行って勉強すればなれるものなのか?ダニエルが真摯に村人と向き合って紡いだ言葉や起こした行動は”本物“のそれと一体何が違うのか?