ドキュメンタリー的な劇映画を期待していたけれど、少し期待外れだった。(まるでスターウォーズのように)時間的スケールの大きな物語を、家族の陳腐な確執の物語に落とし込んでしまっているように見えた部分もあった。
広州、台湾や香港という時代が錯綜している街を舞台にしてこそ、時代が錯綜する物語がよく映えていた。角を曲がる度に、違う時代を経験する街。それは取り残された人々を生む街でもある。錯綜した時代が出会ってしまっときの時空の歪みが、暴動、汚職、レイプといった暴力のかたちを取る。そうした街で、ある時代を異なる時代へと押し拡げる装置が不動産業界、建設業界だった。その意味で映画全体として描きたい対象と、舞台や人物の設定は完璧だったんだろう。そうした大枠は、冒頭でカットを半端なところで頻繁に切り替えてその場の混乱に聴衆を巻き込む臨場感や、広州の歪んだ街の構造を高いところから移す印象的なロングショットにもよく合っていた。
エンドクレジットは、当時の広州、香港、台湾の実際の写真とそれを模した劇中の場面を交互に配置することで、虚構を現実と結びつける役割を担う。これが恐らく本映画の最重要部分で、だからこそ検閲でカットされると魅力は半減するだろうし、そこがカットされるだけで半減してしまうところが、この映画の弱さでもあるように思う。